少し暑さが和らぎ、清々しい風が吹く今日の朝、目が覚めると大谷翔平選手がホームランを打ったというニュースが飛び込んできました。しかし、中継ぎ投手が打たれてしまい、残念ながらドジャースは負けてしまったようです。それでも、ホームランの他にもヒットを打ち、大活躍を見せてくれた大谷選手に清々しい気分をもらいました。明日こそは、彼の先発で勝利を掴んでくれることを期待しています。
そんな清々しい朝、ふと手にしたマクドナルドのドリンクの蓋に、私は小さな驚きと発見がありました。今さら私が言うまでもなく、皆様はご存知だったかもしれませんが、私は還暦を迎えた今年になって初めて、蓋のポッチの精巧な秘密を知りました。昭和40年生まれの幼少期、私の故郷である柏市にはマクドナルドはまだありませんでした。銀座に1号店がオープンし、しばらくしてから柏のアーケード内にマクドナルドができた日のことは、今でも鮮明に覚えています。当時はハンバーガーショップなど他になく、ビッグマックがとても大きく感じられました。現在、身長180cmと体も成長し、ビッグマックも小さく感じるようになりましたが、私の人生の節目にはいつもマクドナルドがあったように思います。
ドリンクの蓋に秘められた「おもてなし」の心
マクドナルドのドリンクを注文すると、プラスチック製の蓋には、五角形、丸形、星形の突起が付いています。この形状の違いが視覚障害を持つ方でも触覚で判別できるように設計されているのではないか、と感じました。このささやかなデザインには、障害者に対する細やかな配慮が詰まっているのだとしたら、障害当事者の私としてはうれしいです。
このドリンクの蓋に施された工夫の背景には、マクドナルドのサービスにおける「正確性」と「効率性」という二つの重要な要素が隠されています。冷たいドリンクは、カップ越しに中身の色で判断することが可能ですが、アイスコーヒーとコーラのように色が似ているドリンクを区別するのは困難です 。この問題を解決するため、マクドナルドは蓋に突起を設けました。この突起の横には「ICED COFFEE」や「ICED TEA」、「OTHER」といった文字が表記されており、注文されたドリンクに応じて該当する突起をへこませて提供することで、クルー(従業員)が一目で中身を識別できるコミュニケーションツールとして機能しているのです 。
この仕組みは、1982年に導入されたものです 。それ以前は、ドリンク担当のクルーが別のクルーに口頭で中身を伝えなければならず、確認に手間取ることがあったといいます 。このポッチは、単なるデザインではなく、店舗運営の円滑化と顧客への正確な商品提供という実用的な目的のために生まれた、まさに機能美なのです。
しかしこの蓋の機能に新たな視点を与えます。確かに、突起の形状が異なることや、へこませた際の感触は、視覚に頼らずともドリンクを判別する手がかりとなります。公式にはクルー向けの視覚的補助が第一の目的とされていますが、結果として、触覚による識別が可能となるユニバーサルデザインの役割も果たしているのです。実際に、アメリカのマクドナルドでは、過去に蓋に点字が表記されていた事例も存在し、企業としてユニバーサルデザインへの配慮が意識されてきた歴史をうかがい知ることができます 。顧客の視点から、本来の意図を超えた価値を見出すというこの発見は、日常のささやかなものが持つ奥深さを改めて教えてくれます。
ハンバーガーショップ内で子供連れの家族、障害者、高齢者などがファーストフードを食べている画像です。
アメリカに誕生したファストフードの革命
マクドナルドの物語は、日本に先立つこと数十年、アメリカの地で始まります。その原点は、1940年にカリフォルニア州サンバーナーディーノで、ディックとマックのマクドナルド兄弟が始めたハンバーガーレストランでした 。彼らが開発した「スピーディー・サービス・システム」は、注文を受けてから調理を始める従来の方式を一変させ、工場のような組み立てライン方式を導入しました。これにより、わずか15秒でハンバーガーを提供できる画期的なシステムが完成し、彼らの店は地元で有名になりました 。
この効率的なシステムに偶然出会ったのが、当時ミルクシェイク用ミキサーのセールスマンだったレイ・クロックでした。彼は兄弟の店舗を訪れ、その驚くべき客席の回転率と、次々と客をさばいていく仕組みに感銘を受けました 。クロックは、このシステムを全米に広げたいと考え、兄弟にフランチャイズ化を提案します。しかし、品質管理を第一に考えていた兄弟は、拡大には消極的でした 。
ここに、マクドナルドの成功と悲劇の物語が始まります。ビジネスを拡大したいクロックと、品質を維持したい兄弟との間には、根本的なビジョンの違いがありました。幾度もの交渉の末、クロックは兄弟からフランチャイズ権を購入し、1955年にマクドナルドシステム社を設立、シカゴ郊外に自身の直営1号店を開店します 。
事業は順調に拡大する一方で、クロックと兄弟の関係は次第に悪化していきます。拡大志向のクロックは、兄弟の許可なく粉末シェイクの採用を強行するなど、品質よりも効率と利益を追求するようになります 。最終的に、1961年にクロックは兄弟から270万ドルで会社の経営権を買い取ります 。しかし、兄弟との間には口約束で売上の1%をロイヤリティとして支払うという紳士協定があったものの、これが文書化されず、最終的に履行されることはなかったと言われています 。クロックはさらに、兄弟が経営する元の店舗のすぐ近くにマクドナルドを出店させ、兄弟の店は「ビッグM」と改称して営業を続けましたが、最終的に閉店に追い込まれました 。
クロックはマクドナルドを世界的なファストフードチェーンへと育て上げ、その功績から「創業者(ファウンダー)」と呼ばれています 。彼の成功の裏には、ハンバーガーを売るというビジネスモデルの根本的な転換がありました。彼は、単にフランチャイズ加盟者を募るだけでなく、店舗を建てる土地を自社でローンを組んで購入し、それを加盟者に賃貸するという手法を考案しました 。これにより、ハンバーガーの販売利益に左右されない、安定的で収益性の高い不動産ビジネスとしての基盤を築いたのです。マクドナルドの歴史は、発明家としての職人魂と、それを世界的規模に商業化する革新者のビジョンが衝突し、後者が勝利した物語と言えるでしょう。
日本上陸、銀座から始まった伝説
日本におけるマクドナルドの歴史は、アメリカとは異なる、しかし同様に戦略的な決断から始まりました。その立役者は、日本マクドナルドの創業者である藤田氏です。当時のマクドナルド米国本社は、郊外の車社会を想定し、日本でも神奈川県茅ヶ崎市へのドライブスルー形式での出店を計画していました 。
しかし、藤田氏は「流行は銀座から始まる」という信念のもと、銀座への出店を強く主張しました 。彼は、人々の流行を牽引する銀座にマクドナルドを出店することで、単なるハンバーガー店ではなく、新しいライフスタイルを象徴するブランドとしての地位を確立できると見抜いていたのです。
その信念通り、1971年7月20日、日本第1号店が銀座三越の1階にオープンしました 。当初はハンバーガーを立ち食いするという文化が「行儀が悪い」と批判されたものの、週末の歩行者天国には若者や家族連れが押し寄せ、新しい食文化として急速に受け入れられていきました 。藤田氏の銀座戦略は、マクドナルドが日本社会に浸透していくための起爆剤となったのです。
私の地元である柏市にマクドナルドがオープンしたのは、銀座店の後でした。しかし、当時としては大事件でした。ハンバーガーショップなど他にない時代、アーケード内にオープンしたマクドナルドは、私のような子供たちにとって、都会の流行が地元にやってきたことを実感させてくれる特別な場所でした 。銀座という華やかな場所から始まった流行は、時間をかけて全国へと広がり、私の故郷にも、そして多くの人々の生活にも深く根付いていったのです。

日本独自の味と進化の物語
日本マクドナルドは、アメリカ本社のメニューをそのまま持ち込むのではなく、日本の消費者の味覚に合わせた独自のメニューを開発することで、圧倒的な人気を獲得しました。その象徴が「てりやきマックバーガー」です。
「てりやきマックバーガー」は、1989年3月に期間限定メニューとして誕生し、わずか2ヶ月でレギュラーメニューとなりました 。このメニューは、リンゴピューレをベースにした日本人好みのてりやきソースを使用し、豚肉のパティと組み合わせることで、ハンバーガーというアメリカ生まれの食文化と、日本の伝統的な「照り焼き」の味を見事に融合させました 。この独創的なメニューは、香港では「ショウグンバーガー」、タイでは「サムライバーガー」として販売されるなど、逆輸入されるほどの人気を博しました 。
もう一つの代表的なオリジナルメニューが、秋の風物詩として知られる「月見バーガー」です。このバーガーが誕生したのは1991年です 。意外なことに、開発当初、このバーガーは「ベーコンエッグバーガー」という名称で企画されていました 。しかし、マーケティング担当者は、当時、卵の仕入れが安定する秋という季節に着目しました。そこで、日本ならではの秋の風習である「月見」と結びつけることで、単なる食材の組み合わせを超えた、文化的、情緒的な価値を持つ商品へと昇華させたのです 。
こうした日本オリジナルのメニューは、単なる期間限定商品ではなく、日本のマクドナルドのブランドを構築する上で不可欠な要素となりました。

私のように、体格が成長してビッグマックが昔ほど大きく感じられなくなったという感覚は、多くの人が共感するかもしれません。マクドナルドは、長年にわたり、消費者の期待に応えるべく、様々な革新を続けてきました。しかし、ビッグマックのパティのサイズ自体は変わっていないという事実も示唆されています 。このことは、私たちが成長し、世界に対する認識が変わる中で、かつては巨大に感じたものが、もはや当たり前の大きさになった、という人生の歩みを物語っているのかもしれません。

アイズルームは 、千葉県東葛地域の情報をblogで毎日発信しております。
中小企業のコンサルティングをしながら、松戸市・柏市 ・流山市の発展を願っております。
私の唯一の趣味は、ドジャースの大谷翔平選手の応援をする事です。
ハムショーのスポーツ実況chのアイコン画像です。
YouTubeラジオ番組「ハムショーのメジャーリーグ実況チャンネル」を聞きながら応援しています。
本日も、文脈がバラバラな視覚障害者の私のブログを読んでいただき、誠に感謝しております。