【「家族」と「私」を考える旅路:多様性がつむぐ社会のカタチ】
今日は、保守とリベラル、その考え方の違いについてお話しします。これはあくまで、私個人の経験から生まれた考えです。
私は幼い頃に父親が失踪し、複雑な家庭環境で育ちました。何十年も経ってから父が連絡をくれた時、私は許すことができませんでしたが、父が事故で亡くなった際は、喪主を務め、きちんと葬儀を執り行いました。
このような経験から、私にとって「苗字」は、なんの意味も持たないものになりました。私のような生まれながらにして家庭環境が悪く、親と同じ苗字を名乗りたくないと思っている人間がいることを知ってほしいのです。
夫婦別姓をめぐる議論
夫婦別姓に反対する方々は、家族の一体感が失われることを懸念されているのかもしれません。それは、ある程度恵まれた環境で育ち、家族や苗字に良い思い出や強い絆を感じていらっしゃるからではないでしょうか。
しかし、苗字を変えることがアイデンティティの喪失につながると感じる人や、結婚後の手続きの煩雑さでキャリアに支障をきたす人もいます。夫婦別姓は、単に「個人のわがまま」ではなく、一人ひとりが自分らしく生きるための選択肢なのです。
LGBTQへの理解を深める
私は還暦を迎え、身体に障害を負いました。仕事を通して、障害を持つ人々が社会からいかに多くの偏見に晒されているかを痛感しました。同じように、LGBTQの方々も偏見と懸命に戦っています。
私はLGBTQではありませんが、「性別」もまた「苗字」と同じように、人間の本質とは関係のないものだと考えています。だからこそ、私の会社では障害者の方も、LGBTQの方も積極的に採用しています。
多様な生き方を尊重するために
保守的な考えを持つ方々に伝えたいのは、夫婦別姓を嫌うのも、LGBTQに偏見を持つことも、あなたの自由だということです。しかし、その逆の意見を持つ人々も、この社会にはたくさん存在します。
私たちが目指すべきは、自分の価値観を他人に押し付けるのではなく、それぞれが自由に生きる権利を尊重し合える社会です。私の経験から、リベラルな考え方は自然と心に根づきました。それは、苗字や性別といった「記号」に縛られず、一人ひとりの個性や尊厳を大切にしたいという強い願いがあるからです。
アイズルームは、多様な人々が互いに助け合いながら、偏見なく暮らしていける、そんな平等な世界を心から望んでいます。