【青春の光と影、そして還暦の再出発。中森明菜の「難破船」が照らす、社会起業家としての私の第二の人生・ ニュースが蘇らせた、光と影の時代】

フジテレビ「ミュージックジェネレーション」で、中森明菜の「難破船」が話題に。 1988年「夜のヒットスタジオ DELUXE」で、作詞・作曲の加藤登紀子さんの目の前で歌唱した映像が流れました。薄紫の和装に身を包んだ22歳の明菜さんが、愛の破綻と悲しみを歌い上げる間奏で、大粒の涙を流しながら歌いきる姿は、時を超えてネット(X)で「震えた」「泣いた」と大反響を呼びました。
このニュースを拝見し、私の心には、まざまざと一つの時代が蘇りました。
明菜さんが「難破船」を涙ながらに歌った1988年頃。それは、私が医療系システムハウスのベンチャー企業を立ち上げ、大きな夢に向かってがむしゃらに羽ばたいていた青春の真っただ中でした。仕事、恋、そしてスポーツ。すべてにおいてバランスの取れた、希望に満ちた充実した日々。

しかし、その光の裏側には、明菜さんの人生にも私の経営者人生にも「影」がありました。
私と同じ時代を駆け抜けた歌手、中森明菜さん。そのキャリアと、世の中を騒がせた出来事は、私たちの世代にとって青春の記憶そのものです。
デビュー 1982年。「スローモーション」でデビュー。山口百恵さんの再来と称され、瞬く間にトップアイドルに。
ヒット曲 「セカンド・ラブ」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE -情熱-」「TANGO NOIR」「TATTOO」など、毎年のように大ヒットを連発。日本レコード大賞を2年連続受賞という偉業を達成しました。
魅力 単なるアイドルではない圧倒的な歌唱力。曲ごとに表情や世界観を変える七変化のパフォーマンス。特に「DESIRE」の和洋折衷な衣装や「TATTOO」のレトロモダンな衣装など、曲に合わせたハイセンスなファッションと振付で社会現象を巻き起こしました。
暗い影 1989年、恋仲が噂された近藤真彦さんとの間に起きた自殺未遂事件は、その後の彼女の活動に大きな影響を与え、私たち世代の心にも暗い影を落としました。
まさに「難破船」の歌詞のように、愛の破綻と悲しみを体現するような出来事。成功したと言えるよりも大きな失敗をした方が多い私の会社経営人生と、どこか重なって見えたのかもしれません。当時の私たちは、明菜さんの痛々しいほどの生々しい感情表現に共感し、魅了され続けたのです。
還暦、そして社会起業家としての再出発
そして今、私は還暦を迎えました。
 
かつてはスポーツカーを運転していた私が、今は視覚障害が重くなり全盲に近い状態となり、白杖をつきながら電車移動でクライアント先を回る日々です。免許は返納し、両足のしびれからスポーツとは無縁の世界となりました。
約40年間の会社経営を終え、今は中小企業の経営コンサルティングを細々と行っています。しかし、人生はここで終わりではありません。私は障害と向き合いながら「社会課題を解決する問題解決コンサルタント」として、新しいスタートを切りました。
かつては「大きな夢に向かって羽ばたいて」いた私ですが、今は社会起業家として、事業を通して社会の問題解決をするべく、残りの人生を人のために費やすことに生きがいを感じています。
明菜さんの「難破船」が、自身の人生の失敗や悲しみを歌い上げたように、私の大きな失敗の数々も、今日のこの再出発の糧となっています。
あの頃の私は、中森明菜さんの曲を聴き、希望に満ちていました。今の私は、人生の厳しさを知ったからこそ、誰かの「希望」の光となるべく、この第二の人生を全力で生きていきます。
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