【「親ガチャ」という名の宿命論を打ち砕け!統計と哲学が暴く「生まれながらの不合理」— 遺伝子と環境に刻まれた人生の青写真に、国家と個人はどう抗うのか?】

      

【「親ガチャ」という名の宿命論を打ち砕け!統計と哲学が暴く「生まれながらの不合理」— 遺伝子と環境に刻まれた人生の青写真に、国家と個人はどう抗うのか?】

新政党「N-FORCE」結成のイベントイメージ画像です。

【アイズルーム代表ブログ】
はじめに:避けられない不合理、人生の「親ガチャ」という現実
アイズルーム代表の私から、日頃から社会の「不公平さ」「理不尽さ」に直面している皆さまへ、今日の問いかけを始めたいと思います。

私たちは「努力すれば報われる」と教えられてきました。しかし、現実を深く見つめたとき、その言葉が弱者にとって残酷な欺瞞となり得ることを、私たちは知っています。本日のテーマは、「貧困の連鎖」—単なる経済的な問題ではなく、「生まれながらにして遺伝子レベルでの変えようがない不合理」が、私たちの人生のレールを敷いているのではないかという、重い宿命論です。

この不合理は、世界という巨大なスケールで、そして私たちが日々を生きる家庭というミクロなスケールで、その力を振るっています。

第一章:国家と時代が定める「運命」の格差
私たちの人生がどこから始まるかは、選ぶことができません。

一番大きなレベルで考えれば、発展途上国に生まれた子どもたちが直面する現実は、壮絶です。食料も仕事もなく、ゴミ山の中からリサイクル品を求めて生きる生活。これは「努力不足」などという言葉で片付けられる問題ではありません。彼らの「運命」は、国家の経済状況と社会インフラによって、出生の瞬間に既に決定づけられています。

裕福な国であっても、その「運命」は時代によって揺さぶられます。ある者が豊かな時代に生まれたとしても、その国が突如として紛争の時代に突入すれば、飛び交う爆弾から逃れ、財産も希望も全てを失うでしょう。国家と時代というマクロな暴力の前には、個人の力はあまりにも無力です。

第二章:家庭環境と遺伝子が描く人生の青写真
さらに、連鎖の幅を狭めて、私たちの身近な家庭環境に目を向けてみましょう。

先祖が裕福であれば、その子孫は賃貸住宅でなく大きな家で暮らすことになるだろう—これは単なる物質的な話に留まりません。ご両親が二人とも大学を出ている家庭では、子どもは自然と高等教育への進学率が高くなります。統計的にも、親の年収が高いほど、子どもの学力・進学率が高くなるという事実は、国内外で繰り返し示されています(例:日本の文部科学省調査等)。親の収入によって、幼い頃から習い事をしたり、優秀な学習塾に通ったりと、子どもの学習環境が変わってしまうからです。

逆に、親が片親世帯であったり、生活保護を受けている場合、子どももまた同じような環境に至ってしまう「連鎖」があります。

私が長年、障害福祉の立場で居住支援を行ってきた中で、残念ながら貧困に至り苦しんでいる方のほとんどが、まさに「親ガチャ」に恵まれず、良い環境で育っていません。

ここで私たちは、単なる「貧困というお金だけの問題」と、「遺伝子レベルのDNA」が人生設計に関与しているという、二重の鎖に直面します。もちろん、まれに貧困家庭や低学力の両親からでも奇跡的に優秀なお子様が発生するケースもあります。しかし、それは「奇跡」と呼ぶにふさわしい例外です。統計的に見れば、貧困や環境、そして遺伝子レベルで、進むべき道が生まれた時に引かれているようにしか思えないのです。

第三章:哲学の問いかけと統計的な真実
この「生まれながらにして人生が決まっている」という現実は、哲学者たちも古くから深く考察してきた問いです。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、人間の幸福(エウダイモニア)を論じる上で、生まれ持った素質や育つ環境、そして幸運の重要性を認めています。また、現代の政治哲学者ジョン・ロールズは、その著書『正義論』において、誰もが持っている「才能や能力は、本来、道徳的に恣意的な(偶然の)ものにすぎない」と主張しました。彼は、個人の才能や社会的な境遇といった「運」によって生じた格差を是正するため、最も不遇な人々の利益を最大化するような社会制度(格差原理)の必要性を説いています。

ロールズの言葉は、まさに私たちの問題意識を代弁しています。本人がいくら努力しても、遺伝子レベルで、もしくは家庭環境で、ある程度の人生が決まっている—それはあってはならないことですが、現実として受け止める必要があります。

私自身の経験からも、この現実は痛感しました。片親世帯で高卒の私が上場企業の役員になった際、役員会で「あなたはどこの大学を出ているんだ」と言われたこと。その企業が東大卒が大多数で、一般の大学卒を見下すような風潮があったこと。大学にすら行けなかった私にとって、学歴の「連鎖」から外れることが、いかに異物として扱われるかを知りました。「生まれる前からすでに人生が決まっている」—それは、弱者にとって厳しい事実です。

第四章:社会変革への提言—国家と行政、そして私たちの役割
このような現実に対し、国や行政はどのように変わるべきでしょうか。私のような行政サポートをしている者が、社会をどう変えていけばいいのでしょうか。

1. 国家と行政による「宿命」の是正
国や行政は、「初期条件の不公平さ」を是正する責任を負います。

教育の機会均等化の徹底:

親の経済力に関わらず、質の高い教育(特に幼少期および義務教育)を無償で提供し、地域や学校間格差を最小限に抑えるべきです。

貧困世帯の子どもに対する学習サポート(無料の学習塾、メンター制度)を行政が主導し、「環境の連鎖」を断ち切る具体的な措置が必要です。

「遺伝的アドバンテージ」への配慮(ロールズ的視点):

持って生まれた才能や健康状態という「運」の恩恵を受けられなかった人々(障害のある方、持病のある方など)が、社会で自立し、尊厳を持って生きられるための居住支援や就労支援を、単なる「保護」ではなく「機会の提供」として強化すべきです。

2. 社会活動家としての私たちの役割
私たち行政サポートに携わる者、そして社会活動家として声を上げる人々の役割は、この不公平な現実を「不可避なもの」として放置しないことです。

「運命論」への異議申し立て:

統計的、哲学的に論理だった言葉で、「生まれによる不合理」を可視化し、社会の無関心を打破すること。

「努力」の前に立ちはだかる構造的な障壁(貧困、差別、環境)を具体的に指摘し、それを撤去する運動を続けることです。

多様な成功モデルの提示:

私のように、既定のレールから外れながらも社会で価値を生み出している事例を積極的に発信し、「成功の定義は学歴ではない」という価値観を社会に広めることです。

人生が生まれながらにして決まってしまっている—それは事実かもしれません。しかし、「そんな人生など弱者にとっては厳しい限り」という、その切実な叫びこそが、私たちを動かす原動力です。

私は今日も、この「不合理な宿命」に抗い、誰もが希望を持てる社会を目指して、社会活動家として声を上げ続けます。この声が、読者の皆さまの心に届き、社会を変える一歩となることを願っています。