【「命懸けの50cc通勤から六本木ヒルズの朝食へ」全盲の役員が「ほっともっと」の全部のせのりタル弁当に見た、1000億規模の経営と人生の学び】
写真をご覧の通り、ほっともっとの「全部のせのりタル弁当」。このお弁当は、から揚、白身魚フライ、コロッケ、ちくわの天ぷら、きんぴらごぼうといった、人気のおかずが全てワンプレートに載っているため、注文から受け取りまでの工程がスムーズなだけでなく、私のような視覚障害者(視覚障害1級)にとっては、構造的に非常に食べやすいという大きな利点があります。
バランの仕切りを慎重に取り除き、タルタルソースとだし醤油を大胆にかければ、準備完了。具の種類が多くて時折こぼしてしまうのもご愛嬌ですが(笑)、この豊かな味が日々の生活に彩りを与えてくれます。
私の周りに写っているものにも、日々の暮らしの工夫が詰まっています。
左上に置かれたビールのジョッキに入った水。これは、普通のコップではうっかり触れた際に倒してしまうリスクがあるため、重たくて安定感のあるジョッキを選んだ結果です。少々触れた程度では倒れない、私の工夫です。
また、右側に写っているのは、緑内障で欠かせない点眼薬の目薬3本、そして眼圧を抑える錠剤の薬2粒です。
目が見えなくとも、眼圧が上がると激しい痛みを感じるため、朝晩の点眼と服薬は絶対に欠かせません。薬局の方に無理を言って、服用すべき2粒の錠剤を一包化してもらっています。これにより、飲み忘れを防ぎ、また小さな薬の粒を落としてしまうリスクも回避できる。これは、見えない生活で得た、小さいけれど確かな生活の知恵です。
《弁当工場での奮闘と1000億の経営哲学》
さて、今日の主役であるお弁当にちなみ、私の過去の仕事について少しお話しさせてください。
25年ほど前、私は東証プライム企業の関連会社で専務取締役を務めていました。
まだインターネットが一般に普及し始めたばかりの頃、西友に次ぐ2番目のネットスーパーを開業するという挑戦をしましたが、時代が早すぎたこともあり、残念ながら成功には至りませんでした。
その後、グループ会社の惣菜および弁当工場へ役員として異動することになりました。ITやネット業界にいた私にとって、ここは衛生管理が厳しく、流れ作業が息つく暇もない異業種の世界でした。ものすごい勢いで流れるベルトコンベアに、熟練のパートさんたちが次々とおかずやご飯を詰めていく様子は圧巻で、私の拙い手つきには「使えない役員だ」と舌打ちをされてしまったこともありました。
当時の住まいであった千葉県のアパートから埼玉県の工場までは大変な距離があり、50ccのバイクで外環自動車道の下の激しい国道を通うという、まさに命懸けの通勤でした。辞職の際に当時の社長は「言ってくれれば、工場の近くにアパートを借りれば良かったのに」と言ってくれましたが、退職の理由は通勤だけではありませんでしたので、深くは語りませんでした。
この工場での経験は短い期間ではありましたが、この上場会社で経験した1000億円規模の経営は、その後の私の人生に大きな影響を与えました。
ボロアパートでの生活から、六本木ヒルズの一角に住み毎朝グランドハイアットで食事をする日々まで、その時々の環境で1億円から1000億円規模の経営を学びました。自分でベンチャー企業を立ち上げ、時には大手企業の役員にも挑戦し、様々な世界を経験したからこそ、今の中小企業の問題解決コンサルタントという仕事に、当時の学びが活きています。
豪華な「今」と、満たされる「今」
過去には、誰もが羨むような豪華な生活も経験しましたが、今の私にとって、このほっともっとのお弁当がとても豪華で美味しいものです。
視覚を失い、人生のステージは変わりましたが、あの激動の時代に体得した経営の規模感と、命懸けで通った工場での経験、そして何より目の前の「全部のせのりタル弁当」を味わう今の日常。
かつてのグランドハイアットの朝食も良き思い出ですが、こうして小さな工夫を重ねて手に入れた今日の夕食と安寧こそが、私にとって何にも代えがたい「豊かさ」だと感じています。