映画鑑賞が終わり、ユナイテッドシネマテラスモール松戸のフロアから男性の視覚障害者が帰宅する、後ろ姿の画像です。
​【第一部】視覚障害者と映画鑑賞の現実
​1. 映画館への道:不可欠なサポートとバリア
​私にとって、映画館に足を運ぶという行為は、決して気軽なものではありません。視覚障害者になってから、純粋な「感動」で心が震えることは稀になりましたし、暗い中での移動や介助者の手配など、超えるべき壁がたくさんあります。
​視覚障害者だけで映画館に行くことはできません。チケットの購入、映画館の複雑な構造を把握して上映室を探すこと、暗い中での座席までの移動、段差のある階段を上って席に着くことなど、すべてにおいて健常の介助者が不可欠となります。今回は大切な人との待ち合わせの後に鑑賞することができましたが、そうしたサポートがなければ、鑑賞自体が成立しません。
​2. 音を頼りにした情報把握の困難さ
​正直にお話しすると、音だけの情報で物語を完全に把握するのは至難の業です。特に、アクションシーンや背景の説明がない会話などは、情報が半分程度しか伝わらないこともあります。「鮮やかに描き出す」というよりは、聞こえてくる音のピースを繋ぎ合わせ、「こんな話だろうか」と想像力を働かせながら追いかける、研ぎ澄まされた集中力が必要な体験なのです。
​また、映画の理解を助ける「音声ガイド」が導入されている作品や対応している映画館は、残念ながらまだごく少数です。音声ガイドがない作品では、映像情報がなければ、物語の「欠落」を感じざるを得ません。限られた作品の中から観たいものを選ぶことになるため、映画鑑賞そのものが特別な機会となります。
​3. 映画館からの退出:安全のための「最後の一人」
​私たちが映画館で直面するのは、情報不足だけではありません。物理的な空間もまた、私たちにとっては障壁となり得ます。そして、エンドロールが流れ、場内の照明が少しずつつき始める瞬間、私は周りの方が席を立つ音を聞きながら、じっと自分の席に留まります。
​暗闇の中での移動は危険を伴うため、周囲の迷惑にならないよう、そして何より自分の安全を確保するため、席を立つのはいつも最後です。電気が完全に灯り、劇場内が明るくなってから、ようやく杖をついてゆっくりと出口へ向かいます。この「最後に出る」という行為は、介助者の方への負担を減らし、他の観客の動線を妨げないための、私たちなりの配慮なのです。残念ながら、映画の余韻に浸る余裕はほとんどありません。
​【第二部】『平場の月』が描いた50代のリアリティ
​4. 鑑賞の動機:身近な病と平凡な愛
​私が今回『平場の月』を観にいったのには、個人的で、深い理由がありました。この映画が描くのは、50代の平凡な男女の恋愛です。そして、その二人を繋ぐ重要なキーワードが「大腸がん」です。50代という年代は、健康に対する不安が身近になる時期であり、大腸がんという病は決して他人事ではありません。私自身もかつて大腸がんの検査キットを受け取った経験があり、そうした病と隣り合わせの生活、そしてそこから見つける「平凡な幸せ」というテーマに、強い関心と共感を抱いたのです。
​また、この物語のヒロインである井川遥さん演じる女性は、大腸がんの手術後にストーマを使用しているという設定があります。私の以前の職場スタッフにもストーマを使用している方がおり、その方が日常で抱える苦労や生活の工夫を間近で見てきた経験があるため、この描写に注目していました。
​5. 音で追いかける二人の積み重ね
​映画の二人の関係性は、最初はお金の問題から居酒屋での酒場デートを繰り返しますが、やがて経済的な理由から、井川遥さんのアパートで食事をし始めるという、質素ながらも親密な生活へと変化していきます。こうした日常生活の積み重ねが、この映画の核です。
​私たちは、映像を見ることができませんが、音からこの二人の機微を必死に追いました。特に印象的だったのが、二人が二人乗りをするシーンです。並んで自転車に乗るのではなく、二人が一台の自転車に乗り、笑い声や風の音、街の喧騒を通して、その一瞬の解放感と幸福感を想像するのです。
​さらに、井川遥さんが一人で夜空の月を見上げているシーン。この映像は私たちには見えませんが、「平場の月」というタイトルが象徴するように、特別なものではないけれど、当たり前にそこにある、ささやかな幸せを、静かな環境音から感じ取ろうとしました。
​6. 日常と映画の重なり:メトロポリタンの約束
​今回の映画鑑賞は、仕事の後に大切な人と待ち合わせをして向かいました。映画の中では、二人がメトロポリタンホテルでの食事を約束するシーンが出てきますが、これもまた、私たちにとっては身近なリアリティを感じさせる要素でした。以前、私が池袋に住んでいて、食事で利用したメトロポリタンホテルの名を聞くと、映画の中の約束事と、私の生活が重なり合うような感覚を覚えました。
​視覚障害者になってから、純粋な「感動」で心が震えることは少なくなったかもしれませんが、それでも『平場の月』のような作品から、セリフの裏にある感情の揺れや、同じ時代を生きた音楽が心を刺激する大切な体験を得ることができました。この体験を、私たちは同行してくれたガイドの方と感想を共有することでさらに深めています。
​映画は、誰もが楽しめる文化であるべきです。そのために、私たちが発信する声が、少しでも未来のバリアフリーな映画体験に繋がることを信じています。
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