【視覚障害者になった経緯】
アイズルームでは、障害福祉の観点から障害者が安心して暮らせる社会を実現させる為、障害者の立場から問題意識を持ち、blog記事にまとめて発信しております。現在は情報収集と組織づくりをしている段階で、いずれ視覚障害者向け情報発信ポータルサイトを運営する計画です。今回は私自身が視覚障害者になった経緯を発信して、糖尿病の怖さについて注意喚起出来ればと思っております。セミナーなどでも一部発表した内容となります。遺伝的に母親が高血圧、父親が糖尿病でした。幼少期父親が失踪し決して裕福な家庭ではなかった為、食べ物を残すという習慣はありません。食卓に並んだ物はもったいなくて、無理をしてでも食べてしまいます。親戚に体の大きい力士がいて、私自身も元々太る才能がありました。私の子供は年子で育ち盛りの時期、好き嫌いが多く食べ物をよく残していた為、もったいないという気持ちで私が残った食べ物を全部食べていました。二十歳で起業して事業も順調だった事もあり、暴飲暴食を繰り返し30代前後に身長180センチ弱で、120キロに体重が到達しました。がっちりした体格だった事もあり、お相撲さんと勘違いされた事もあります(笑)
今思えばこの当時、糖尿病はすでに発症していたと思われます。朝出社し遅くまで残業した後、ご飯と共にお酒も大量に飲み、運動もあまりしないで、また朝起きて会社に行くという繰り返しでした。そのような中でいつも通り仕事をして、食事と共にお酒を飲み寝不足で次の朝友人達と箱根温泉へ行った時の事です。温泉でのぼせて目の血管が切れ、血が流れてきました。この事が糖尿病から目の障害へ移行した初期症状だと思うのですが、当時は仕事に集中していて病院へ行く事も無く糖尿病の薬は飲んでいませんでした。そこから10年が過ぎ、40歳前後で少し体の異変があったので糖尿病と高血圧の治療をしましたが、会社の方が忙しく薬を継続して飲む事が出来ませんでした。そこからまた10年が経ち50歳前後で目に違和感があり、糖尿病網膜症と緑内障を併発していると診断され、名医を調べていくつものセカンドオピニオンを受けあらゆる手術をしましたが、良くなる事はありませんでした。今はイーロンマスクが治験に入った眼球や脳にICチップを埋め込み、視力を再生させる技術に期待をしております。現在は糖尿病と高血圧の治療は、北小金クリニックの山下哲理院長にお願いしております。毎回診察の時は数字のデータを基に丁寧に説明していただき、食事制限のアドバイスもいたいただいています。今まで他の内科医の診察も受けましたが、こちらのクリニックは予約制で待ち時間も少なく、糖尿病や高血圧以外の疾病に関しても予防的観点から的確な医療判断をしたいただき、長い間完治しなった高血圧は薬を飲まなくてもよいところまで改善されました。眼科は慈恵医大柏病院の山脇佳子先生に診察をしていただき、毎回丁寧に時間を掛けて診てくださっていますので信頼しております。私自身糖尿病と脊髄損傷による両足の痺れもある為目は見えなくなったものの、糖尿病がさらに進むと人工透析も必要となってしまう恐れがあります。元々煙草は吸っていませんが、現在はお酒は一切やめてウォーキングと食事制限をしており、糖尿病の完治を目指して努力しております。糖尿病から私のように目を失明したり、両足を切断する方は少なくありません。私のように症状が出てからでは手遅れになりますので、定期的な検診と慢性病の治療は信頼できるお医者様を探して治療に当たってください。情報を得る8割は視覚からとなります。私のように視覚障害者になってしまうと身動きが取れなくなります。一部障害者の中でも点字による弁護士資格を取ったり、健常者と同じように伴走者と共にマラソンをしている優秀な方達もいます。しかし一般的な視覚障害者はほかの障害者よりも著しく就業率が低く難しいのが現状です。私の場合視覚障害者の社会参加をテーマにした事業を進めておりますが、私自身も不自由な為より一層の努力をしないと事業目的は達成できません。糖尿病は怖い病気なので、手遅れになる前に治療を受けて頑張れば完治します。まさしく生活習慣病ですので毎日の運動や食生活を見直して、健康な人生を過ごしてください。