【「倒産」の淵から見えた、人生と仕事の光】
今日は仕事の合間に、娘と母のいる老人施設へ面会に行ってきました。母は私とちょうど30歳違いで、今年で90歳になりました。
老人施設は単調な食事ばかりなので、プリン、ヨーグルト、サイダー、お菓子、あんまんなどを差し入れしています。健康には良くないかもしれませんが、母は車椅子なので施設を出て買い物に行くことはありません。残り少ない人生、少しでも好きなものを食べてほしいと思うのです。毎年誕生日には、なんとか母を連れ出して家族で食事会をしています。
私は2年前から緑内障が悪化し、ほとんど見えません。老人施設内でも白杖をついて移動しています。施設の利用者の方々は、私の方が哀れに見えるのか、不思議そうな、同情した目で私を見ます(その様子は、ガイドヘルパーが説明してくれます)。

面会中に母に私の仕事の話をしても、「そんな状態で仕事ができるわけないだろう、危ないから外を歩くな」と言われます。ですが、仕事は私の生きがいです。たとえリスクがあっても、仕事をしない人生なんて私には考えられません。
ただし、若干痴ほうの入った90歳の母と老人施設で論理的な話をしても、短い面会時間が減るだけです。
父が失踪し、母子家庭となったため、私は高校を卒業した18歳から給料を母に渡していました。私と母は約26年間同居し、その後、姉たち夫婦と約4年間同居しました。母が一人暮らしや老人施設で過ごした期間は約20年になります。
本来であれば、長男である私が最後まで面倒を見るべきでしたが、私の経済状況にも浮き沈みがあり、結婚も2度失敗しました。姉たちも一度は母を看ようとしましたが、女手一つで苦労して私たちを育てた母は、同居すると姉の家族とトラブルを起こすようで、姉二人との同居は約4年間しか続きませんでした。この二人の姉の他に長女がいるのですが、昔の確執があり、長女は同居だけは断固として拒否しています。私、3人の姉、そして母との様々な関係性は、この短いブログでは語り尽くせません。
母にとって何が正しかったのか、今もわかりません。結果的に離婚しましたが、元妻は長い年月、母とよくやってくれました。彼女は20歳そこそこで私の家に入り、約26年間も母と同居してくれたのです。
会社を離れれば、私は何者でもありません。グアムに新婚旅行に行った夜、元妻は私と母の関係を「マザコンか」と罵りました。父に捨てられ、母だけを頼りに生きてきた私にとって、確かにマザコンだったのかもしれません。
果たして、今の時代に「マザコン」は死語なのでしょうか?

施設で面会している間も、クライアントや新規相談の電話が鳴り止みません。私の業務には「倒産・廃業相談室」と「独立・起業相談室」があります。
寂しそうな声で、とある社長から連絡が入りました。主な事業が累積赤字で厳しくなり、従業員を解雇してその事業から撤退するという内容でした。黒字が見込める事業に特化し、従業員を絞って再スタートを切る、とのことでした。
この経営改善は、まさに「倒産・廃業相談室」から「独立・起業相談室」へ移行するターニングポイントです。
この会社は非常に厳しい状況下ではあるものの、唯一黒字が見込める事業が一つありました。私は、「その事業に賭けて、諦めずに努力しましょう」とアドバイスしました。
アイズルームは、中小企業の問題解決コンサルタントです。
「新しい事業をスタートしたい」「現在の経営状況が困難で、どう改善したらいいかわからない」「事業を継続したいが後継者がいない」「繁盛しているお店をFC化していきたい」など、様々な悩みを根本から解決いたします。
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