【衝撃の万引き事件が問いかける現代社会の闇・無人販売店、貧困、そして「最後の楽園」構想が示すセーフティネットのあり方】

      

【衝撃の万引き事件が問いかける現代社会の闇・無人販売店、貧困、そして「最後の楽園」構想が示すセーフティネットのあり方】

生活困窮者が生活保護申請の相談をしている画像

不意にテレビをつけたら、無人販売店のお弁当をホームレスが盗むという、万引きをテーマとした番組が目に留まりました。また、別の犯罪者は、スーパーのキャッシュレスレジでバーコードをスキャンするように見せかけ、実際にはスキャンせずに万引きをするという、昨今問題になっている新たな手口を用いていました。

監視カメラに捉えられたこの犯人は、何十回もお弁当などを万引きしている常習犯でした。そして、逮捕して事情を聞いてみると、生活保護受給者だったという事実に、現代社会の抱える根深い問題を感じずにはいられません。

ホームレスの状況下で極端にお腹が空いてしまえば、無人販売店は、その無防備さゆえに商品を持ち去ったり万引きをしたりといった犯罪を誘発してしまうのかもしれません。

私は、これまで野菜の無人販売店は知っていましたが、お弁当なども売っているという事実に驚きました。無人で販売しているお弁当に、もし悪意をもって毒などを入れられたとしたら、それを知らないで購入し食べてしまった人にとって、取り返しのつかない大惨事になりかねません。お弁当などを販売されている方は、そのようなリスクを考慮されていないのでしょうか。

無人で販売しているお弁当を、誰でも現金を手に取れるようなところに置いておくという営業方法は、残念ながら犯罪を誘発する温床となり得ると考えます。現場に人がいないのであれば、監視カメラを設置するのではなく、せめてリモートで24時間監視するなど、防犯への配慮が不可欠です。

現在、日本の貧困率は6人に1人となりつつあります。「日本は安全だから大丈夫」「性善説に基づいた無人販売でも問題ない」という過去の常識は、政治経済が混迷を極める今の時代においては通用しません。無人販売所には、最悪、盗難されても影響が少ないものだけを置く、といった自己防衛も必要になっているのではないでしょうか。

この状況は、たとえるならば、ニューヨークやロサンゼルスの危険な路地裏で、非力な女性が深夜に無防備に歩いていて襲われるのと同じ構造だと考えます。つまり、スラム街のような場所を無防備な体制で通るリスクと、誰もいない無人販売所に貴重な商品を置くということは、犯罪を誘発し、結果として新たな犯罪者を生み出してしまう要因となり得るのではないでしょうか。

生活保護者やホームレスの方はあくまで一部ですが、生活態度が乱れ、どうなってもいいと自暴自棄になっている方が実際に存在します。

ここで、極端な提案をさせてください。本人の希望があれば、無人島に最低限のRC(鉄筋コンクリート)造の宿舎を建設し、無料で利用できる食堂や畑を解放することで、最低限の生活ができるような安心して暮らせる「島」のようなものを作れたらどうでしょうか。無料の病院も作り、最終的な生活困窮者が、世間の目を気にせずのんびりと暮らせる街です。

一般の街とは異なり、監視カメラを大量に設置し、犯罪に対しては厳しく対処する一方で、最低限の生活は徹底して保障する、といった「最後の楽園」のようなセーフティネットです。

いわゆる街中では、富裕層が存在し、豪華な高級車を乗り回し、高級レストランで美食を堪能しています。そんな都会の喧騒のすぐ脇の市営住宅や日陰に近い街並みで、生活保護者は生活をしています。ホームレスは、ニューヨークやロサンゼルスにも多いですが、日本でも東京や大阪の中心地に多く存在しています。

この貧富の格差が社会への憎しみに変わり、無差別な殺人が横行する原因にもなりかねません。貧困者でも最低限の生活ができ、安心安全な暮らしが保障された「最後の楽園」のような場所があれば、そこでの生活を望む方は少なくないのではないでしょうか。

街並みで誰もが楽しそうに美味しいものを食べている中で、自分だけがお金がなくて極端に惨めに感じ、スーパーで万引きをしてしまったり、無人販売所で商品を持ち去ったりする行為は、決して許してはいけない犯罪です。しかし、この背景には、低迷する30年間、日本を導いてきた政治家たちが作り上げてしまった日本の社会問題が横たわっているように思われます。

無人島に「最後の楽園」を作るという考えは、極端な事例であり、貧困層を無人島に追いやるという悪質な考えだと捉えられるかもしれません。しかし、私は誰よりも生活保護の方を支援したり、ホームレスの方を無料で低価格の宿泊所に救済し、生活保護の認定が受かった後には、一般的なアパートに転居していただくお手伝いを過去にしておりました。

警察や地方自治体から自殺未遂の方の支援を要請され、ボランティアでご自宅に訪問し、病院への入院の手配をしたり、生活保護の申請をお手伝いしたりもしました。様々な悩みを抱え、一度は自死を考えた方たちに対し、私自身のお金で公的補助が受けられるまで資金をお渡ししたこともあります。

現在、そんな私も還暦を迎え、視覚障害者となり、自由に身動きが取れません。生活困窮者を救うボランティア活動への思いは今も変わらないものの、私自身にも経済的な余裕がなくなったため、生活困窮者に対する当面の無償資金提供は難しくなってしまいました。

ホームレスの方は、すべての方が生活保護を望んでいるわけではありません。私の経験の中でも、ホームレスの方を救済し、生活保護の申請が通り、一般的なアパートに住んでいたにもかかわらず、再び街中のホームレスに戻ってしまうケースをたくさん見てきました。一人でアパートに住むということは、多分、耐え難い「孤独」を伴うのだと思います。最悪の状況であるホームレスであっても、周りには同じような境遇の方がたくさんいるという安心感があるのかもしれません。

このようなことも含めて、今回は「弱者の最後の楽園」、すなわちセーフティネットとしての「離島の国」について、課題として取り上げてみました。

読者の皆様も、生活保護者やホームレスの問題について、今一度、他人事ではなくご自身の問題として深く考えてみてください。

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