【《視神経障害と向き合い、還暦から挑む雨天時白杖単独歩行》中途全盲の私が雨の階段で手すりを離せない切実な理由と、自立への執念】

      

【《視神経障害と向き合い、還暦から挑む雨天時白杖単独歩行》中途全盲の私が雨の階段で手すりを離せない切実な理由と、自立への執念】

都会の道路で傘を差したスーツ姿の視覚障害者男性が、白杖を使い歩行している画像です。
​クリスマスイブの早朝、静かに降り始めた雨の音を聴きながら、このブログを綴っています。
​2025年のクリスマスは、日本全国が低気圧に覆われ、雪ではなく雨になるとのことです。ホワイトクリスマスを期待する声も聞こえますが、私にとっては、雨の中を白杖でどう歩くかという非常に厳しい現実が目の前にあります。
​私は現在60歳、還暦を迎えました。目の病歴を振り返ると、50歳の時に糖尿病網膜症と緑内障を発症し、まずは弱視の状態となりました。そこから徐々に視力が低下し、2年前の58歳の時に光を失い、全盲となりました。いきなり暗闇に突き落とされたわけではなく、10年という歳月をかけて、少しずつ世界が消えていく恐怖と闘いながらここまで歩んできました。
​さらに追い打ちをかけるのが、糖尿病の合併症である末梢神経障害です。両足に強い痺れがあり、足裏で地面を捉える感覚がほとんどありません。そのため、階段の昇降において手すりは単なる補助ではなく、命を守るための絶対的な命綱です。
​本日のブログでは、後天的に全盲となった私が直面する雨の日の歩行の真実と、教科書通りにはいかない葛藤についてお伝えします。
中途全盲と糖尿病性神経障害がもたらす歩行の困難さ
​幼少期から盲学校で学んできた先天性や未成年で全盲になった方々は、驚くべきバランス感覚とエコーロケーション能力を持っています。彼らなら、右手に白杖、左手に傘を持ちながら、手すりを使わずに階段をスタスタと昇降できるかもしれません。
​しかし、58歳で全盲になり、かつ足の感覚障害を抱える私にとって、それは別次元の技術です。足裏の感覚が乏しいため、段差の終わりや傾斜を足だけで判断することが難しく、左手で手すりをしっかり握らなければ安全を確保できません。
​視覚障害者にとって、周囲の音は唯一の地図です。交通量の激しい場所は、車の音や人の気配が目印となり、意外と道を覚えやすいものです。逆に、静まり返った田舎道は変化に乏しく、側溝の蓋が開いていたり、用水路への転落の危険性のリスクもあり、最も恐ろしい場所となります。
雨の日の現実:傘と白杖と手すりの三重苦
​一般的な歩行訓練では、両手を空けるためにレインコート(カッパ)の着用を勧められることがありますが、実際に街中でレインコートを着て白杖をついている視覚障害者を見かけることはまずありません。
​そもそも、大雨の中で単独歩行をしている重度視覚障害者自体、滅多に出会うことはないでしょう。それほどまでに、雨の日の単独歩行はリスクが高いのです。
​私が雨の日に階段を利用する場合、左手で必ず手すりを持ちます。そうなると、残された右手一本で「白杖」と「傘」の両方を保持しなければなりません。
​白杖を振りながら同時に傘のバランスを取る。これは非常に不安定で危険な状態です。転倒した際に手をつくこともできません。これが、中途全盲者が直面する、綺麗事ではない歩行の現場です。
身体能力と経験に根ざした独自の記憶術
​派遣されてくる歩行訓練士の方は晴眼者です。安全なルートは教えてくれますが、全盲の人間がどのような思考回路で空間を認識しているか、その「内側の感覚」までは理解しきれません。
​壁の質感、自動販売機の音、空気の揺れ。こうした断片的な情報を繋ぎ合わせ、自分だけの「脳内地図」を描く作業は、誰に教わるでもなく、自分自身の経験で積み上げていくしかありません。
​「あしらせ」のようなスマホ連動の誘導装置は画期的ですが、電池が切れた瞬間に立ち往生するリスクを考えると、過信は禁物です。最終的には、道具に頼り切るのではなく、自分の身体能力と記憶を信じて歩く強さが必要です。
​全盲になったからといって、好きな場所へ行くことを諦めるのは、私には絶対に許せません。巳年生まれの粘り強さで、これからも一人で歩ける範囲を広げていく決意です。
​今日の雨の中、私は折りたたみ傘を手に外へ出ます。階段では、右手に傘と白杖をまとめ、左手でしっかりと手すりを握り、一歩一歩踏みしめるように進むつもりです。危険は承知の上ですが、この不自由さの中にこそ、私の自立への誇りがあると考えています。
​もし街中で、白杖と傘を抱えながら手すりを探している私のような者を見かけたら、どうぞ温かい目で見守ってください。そして、もし余裕があれば、足元の状況を一声かけていただければ、それが何よりの「魔法の提案」になります。
​次にこのブログを書く時は、雨の日の階段をより安全に克服するための、私なりの新しい工夫を見つけて報告したいと思います。