認知症の方や知的障害のある方の権利を守るはずの成年後見制度が、いま大きな転換期を迎えています。法務省は先日、現行の「後見」「保佐」「補助」という3つの区分を廃止し、本人のニーズに合わせて柔軟に支援内容を選べる「補助」への一本化を柱とした民法改正案をまとめました。
​この改正の背景には、現行制度が抱えるあまりにも深刻な「硬直化」と「人間不在」の実態があります。障害福祉の現場に身を置く一人として、私は現在の制度に対して強い危機感と憤りを感じずにはいられません。
​本来、成年後見制度は本人の生活を支え、その人らしい人生を継続するための社会貢献的な制度であるべきです。しかし、現実には専門職による「手数料ビジネス」へと変貌してしまっている側面が否定できません。
​ここで、制度の欠陥が招いた悲劇的な事例を3つ挙げます。
​1つ目は、後見人による横領事件です。
弁護士や司法書士といった専門職が、本人と一度も面会することなく通帳を管理し、多額の預貯金を着服する事件が後を絶ちません。資格さえあれば資産を自由に動かせるという特権が悪用され、本人が汗水垂らして蓄えた老後の資金が、面識のない第三者の遊興費に消えていくのです。
​2つ目は、資産額に応じた報酬設定による「囲い込み」です。
現在の報酬体系は、管理する資産が多いほど手数料が高くなる仕組みです。そのため、本人の生活の質を上げるためにお金を使うのではなく、手数料を維持するために支出を極端に制限し、施設で最低限の生活を強いるケースが見受けられます。本人の幸せよりも、預金残高を維持することが優先されているのです。
​3つ目は、一度利用を始めると「死ぬまでやめられない」という拘束性です。
現行制度では、判断能力が回復しない限り、後見人を解任したり制度を終了させたりすることが極めて困難です。たとえ後見人が本人の生活実態を全く把握していなくても、あるいは相性が最悪であっても、高額な報酬を支払い続けなければなりません。
​福祉の現場で痛感するのは、後見人を担当する専門家たちの「福祉に関する知識や技術」の圧倒的な不足です。机上の空論で資格を得ただけの人たちが、本人の尊厳や日々の暮らしを守れるはずがありません。
​本人や家族と一度も会ったことがない人が後見人になり、月に一度の面談すら行わずに「管理」だけを行う。このような状況で、どうして本人の状況変化や真のニーズを把握できるのでしょうか。本来であれば、少なくとも月に一回はボランティア精神を持って無償で面談に訪れ、本人の表情や生活環境を肌で感じるべきです。
​誰もが将来、障害を持つ可能性があり、高齢になり、認知症になる可能性があります。明日は我が身の問題です。資産が多いほど手数料が増えるというビジネスモデルは、社会貢献の理念から大きく逸脱しています。
​今回の法改正が、単なる形式的な統合に終わってはなりません。資格という「肩書き」ではなく、人間の尊厳を持ってその人の生活を最後まで守り抜くという「志」を持った支援者が選ばれる仕組みに作り直す必要があります。
​私たちは今、この杓子定規な制度に対して警鐘を鳴らし続けなければなりません。成年後見制度は、誰かの利益のための道具ではなく、本人の幸せのために存在しなければならないのです。