【身寄りのない孤独と、理不尽な社会の狭間で。ある男性の命を繋ぎ、再起を共にした居住支援の記録】

      

【身寄りのない孤独と、理不尽な社会の狭間で。ある男性の命を繋ぎ、再起を共にした居住支援の記録】

生活困窮者が生活保護申請の相談をしている画像

​私は母子家庭で育ち、波乱万丈の人生を歩んでまいりました。あえて自身の生い立ちについて深くは語りませんが、様々な苦しい経験を通り抜けてきたからこそ、かつては人に寄り添う仕事に身を投じておりました。これは私が居住支援に携わっていた当時の、ある男性との記録です。仮に、彼のお名前を佐藤さん(仮名)といたします。この物語を通して、現代社会の矛盾や、声なき弱者が置かれている実態を知っていただければ幸いです。
《第1章 佐藤さんとの出会い》
​住宅ローンを滞納し、強制退去を命じられたものの、行く当てもなく引っ越しすらできない人がいる。そんな切実なSOSが私の元に届きました。早々に面談を行い、佐藤さんと対面した私は、彼が背負ってきたあまりに重い背景を知ることになります。佐藤さんはご両親がおらず、施設で育ち、幼少期から多くの苦労を重ねてこられた方でした。30代半ばの頃、不誠実な不動産業者に言葉巧みに騙され、一人暮らしには不釣り合いな広いマンションを購入させられてしまったのです。精神的、体力的な問題を抱えていた佐藤さんは、やがてローンを支払えなくなりました。あろうことか、彼を窮地に追い込んだその不動産業者が、今度は彼を住まいから追い出そうとしていたのです。不動産のプロである私の目から見れば、身寄りのない彼が一人で暮らすのであれば、現金で購入できる程度の1DKの物件を選んでいれば、このような悲劇は起きなかったはずです。彼は明らかに、当時の収入には不適切な物件を「買わされて」いました。私は立ち退きを迫る業者と佐藤さんの間に立ち、新たな生活へ向けた引っ越しの手続きを急ぎました。
​《第2章 緊急連絡先がいない》
​再出発を阻んだのは、社会の高い壁でした。佐藤さんは仕事を辞めてしまっており、さらに身寄りもいないため、賃貸保証会社の審査が全く通りません。住む場所がなければ仕事も決まらず、仕事がなければ家も借りられない。この悪循環を断ち切るため、私は彼と一緒に仕事探しを始め、私が彼の「緊急連絡先」になることを決意しました。内定さえ取れれば、たとえ身寄りがなく連帯保証人がいなくても、緊急連絡先さえはっきりしていれば保証会社の審査を通過できる可能性があるからです。
​《第3章 糖尿病で救急搬送》
​無事に分譲マンションから一般賃貸住宅へ引っ越しが完了し、佐藤さんはガードマンの仕事に就くことができました。しかし、彼には糖尿病という持病がありました。万が一の事態に備え、私は彼に「私の名刺を財布に入れておき、何かあったらすぐに出すように」と言い含め、携帯電話にも私の携帯番号を一番上に緊急連絡先として登録させました。その矢先のことです。ガードマンの業務中に佐藤さんは意識を失い、崩れ落ちました。職場の同僚がすぐに救急車を呼びました。
​《第4章 緊急連絡先業務》
​救急車が到着しても、家族と連絡が取れなければスムーズな搬送が困難な場合があります。意識のない佐藤さんに代わり、救急隊員は彼の所持品から私の名刺を見つけ、電話をかけてきました。「どのようなご関係ですか」という問いに、私は「彼の支援をしている者です」と答え、彼が普段通っている病院や病状について詳しく伝えました。また、彼のリュックの中にはブドウ糖の錠剤が入っているはずなので、それを飲めば低血糖が解消され、意識は戻る可能性があることも付け加えました。それから20分後、再び連絡があり、処置によって意識が回復したため、アパートへ戻ることになったと告げられました。居住支援において、こうした緊急時の24時間対応は欠かせません。常に気を張っていなければならない、命を預かる仕事なのです。
​《第5章 家賃滞納連絡》
​平穏が戻ったかと思った矢先、保証会社から「佐藤さんの家賃が2ヶ月分滞納されている」との連絡が入りました。緊急連絡先である私には、彼から事情を聞き、保証会社へ説明する責任があります。真面目な彼が家賃を滞納するなど、普通では考えられません。私は、彼に何かが起きているという不穏な予感を抱きました。
世帯分離による独立引越し作業現場写真、家族から独立してアパートへ引越す引越し作業画像。
《第6章 自殺未遂事件 緊急対応》
​身元引受人として、本人の承諾を得て合鍵を預かっていた私は、すぐさま彼のアパートへと向かいました。ドア越しに何度も声をかけましたが、返事はありません。意を決して部屋に入ると、そこには衝撃の光景が広がっていました。佐藤さんは、1週間以上も水だけで過ごし、自ら命を絶とうとしていたのです。冷蔵庫の中は空っぽで、枕元には1.5リットルのペットボトルの水が何本も並んでいました。事情を聞くと、糖尿病が悪化したことでガードマンの仕事を解雇され、家賃も払えず、絶望のあまり「もうどうなってもいい」と思い詰めてしまったということでした。
​《第7章 生活保護の申請支援》
​彼の所持金は、ついに底をついていました。「こうなる前に相談してほしかった」と伝えながら、私は自分の財布から7000円を取り出し、彼に渡しました。「1日1000円で、1週間だけ頑張ってくれ。死ぬことはいつでもできる。だから、この1週間だけは私に命を預けてくれないか」と、彼に語りかけました。その足で彼を連れて区役所へ向かい、生活保護の申請を行いました。役所の迅速な対応もあり、ようやく最低限の生活基盤を確保することができました。
​《第8章 都外への緊急措置による引っ越し》
​所持金がない状態での申請では、一時的に「無料低額宿泊所」に入ることになります。しかし、都内の施設は相部屋が多く、環境も決して良いとは言えません。佐藤さんのように穏やかで優しい性格の人間は、そうした環境で周囲の影響を受け、心をすり減らしてしまう恐れがありました。そこで私は、少し離れた場所にある完全個室の施設を選び、彼をそこへ案内しました。アパートの荷物はすべて破棄せざるを得ず、佐藤さんは鞄3つほどの荷物だけで、文字通りゼロからの再スタートを切ることとなりました。それでも、生活保護を受けることで、安定した住まいと食事は保証されたのです。
​《第9章 無料低額宿泊所退去》
​無料低額宿泊所は、あくまで一時的な居場所です。佐藤さんはそこで4ヶ月間、再起を誓って真面目に過ごしました。その姿勢が認められ、福祉課からアパートへの転居費用や家電購入費などの支給を受けることができました。ついに佐藤さんは、施設ではなく、再び自分のアパートで一人で暮らせるようになったのです。健康状態も回復の兆しを見せ、少しずつ動けるようになった彼に、私はこう伝えました。「ガードマンの仕事を始めても構わないけれど、生活保護を打ち切られない範囲で体調をコントロールしなさい。無理をしてまた家賃を滞納するようなことになってはいけないよ」と。こうして結果的に、私は2度にわたって彼の居住支援を行うことになったのです。
​《第10章 総論》
​初めて彼に出会ってから、悪質な不動産トラブルの解消、新生活の開始、そして糖尿病による救急搬送、家賃滞納、自殺未遂という壮絶な試練の数々に、私は立ち会ってきました。「身寄りがない」という、ただそれだけの理由で、真面目に生きようとする人間がこれほどまでに追い詰められてしまうのが、今の社会の現実です。健康を損なえば、一瞬にして住まいも職も失い、孤独な死へと直結してしまう脆さがあります。佐藤さんのような「生活弱者」に必要なのは、単なる金銭的な援助だけではありません。異変に気づき、手を差し伸べ、時には24時間態勢で命を守る「居住支援」という存在がいかに重要であるかを、私は痛感しました。
​私自身、還暦を迎えた今、これまでの人生を振り返れば、眼底出血で倒れた時以外は一日も休まずに仕事に打ち込んできた歳月でした。その影響もあり、現在は視力を失い、視覚障害者となりました。しかし、光を失ったことで見えてきたものもあります。現在は「全盲の問題解決コンサルタント」として、障害者の方々の就労支援や居住支援を行う福祉事業所のコンサルティング、また福祉に関するセミナー講師などを務め、ボランティア活動を中心とした日々を過ごしております。かつて佐藤さんの手を引いたあの日から、私の信念は変わりません。たとえ目が見えなくとも、心で寄り添い、誰かの絶望を希望へと変えるお手伝いを続けていくこと。それが、波乱万丈な人生を歩んできた私に課せられた、一つの使命であると感じております。
​この記録が、社会の片隅で震えている誰かへの救いや、制度の矛盾を考えるきっかけになることを切に願っています。
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