​2022年2月24日。あの日の衝撃を忘れることはできません。ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻。それは軍事施設に留まらず、平穏な日常を刻んでいた民間施設、希望を育むはずの学校、そして命を救う砦である病院にまで牙を剥きました。
​戦火の中、戒厳令によって出国を阻まれた男性たちを残し、女性や子供たちは、愛してやまない故郷をあとにすることを余儀なくされました。住み慣れた家、家族の思い出が詰まった街を離れる苦渋の決断は、想像を絶するものです。そこから2,000名を超える方々が、遥か遠い日本へと難民となり避難してきました。
日本での生活が始まった際、東京都が用意した都民住宅への入居が始まりました。そこには単なる屋根があるだけでなく、生活に必要な細かな備品までが整えられていました。その頃、私は居住支援という活動の真っ只中にいました。目の不自由な私が、視覚障害という大きな壁と向き合いながらも、救助を求めるSOSの声に応えようと奔走していた時期です。
​新宿の街で、海外から命からがら脱出してきた人たちと連絡を取り、可能な限り直接会いに行きました。彼らの不安な瞳、震える声に触れながら、「日本という国として何ができるのか」「現行の法律でどこまで守れるのか」「支援体制は何ヶ月維持できるのか」といった切実な問題を巡り、管轄官庁との熾烈なやり取りを続けました。
​当時は部屋の準備費用など、ある程度の公的支援は出ましたが、半年後の体制すら見えない不安定な状況でした。民間の一支援団体として、戦争が長引いたからといって「国からの支援が切れたから出ていってください」などと、人道的に言えるはずがありません。そして
今日現在、2026年4月になってもなお、戦火は収まっていないのです。当時はここまで長く続くと、一体誰が予期していたでしょうか。
世界を見渡せば、ウクライナだけでなく、イランでも同様の惨劇が続いています。アメリカのトランプ政権による軍事介入、そしてロシアや中東の独裁的な指導者たち。彼らは他人の意見に耳を貸さず、自らの地位と保身のためだけに、自国のためという大義名分を掲げて戦争を強行しています。しかし、その内情は自国にとってもマイナスでしかありません。まさに彼らは「裸の王様」です。
​イランもウクライナも、悠久の歴史と豊かな文化、美しい歴史的建造物を持つ国です。尊い命が奪われるだけでなく、これら歴史の遺産までもが木っ端微塵に破壊されている現実は、戦争が終わったとしても容易に復旧できるものではありません。
日本はG7の一員でありながら、難民受け入れに関しては極めて消極的と言わざるを得ません。本来であれば、敗戦と被爆という、どの国よりも過酷な状況から不撓不屈の精神で立ち上がった日本こそが、戦争を憎み、権力者を激しく批判し、逃げてきた人たちを温かく受け入れるべきではないでしょうか。
​しかし、現在の高市政権の動きを見ていると、それとは逆の方向に進んでいるように感じられてなりません。トランプ氏に追随し、保守を標榜しながらも、その本質が戦争に向かうことであるならば、それは真の「日本を守る」こととは程遠いものです。
​今、国会議事堂の周りでは、こうした政権の姿勢やトランプ氏に向けた戦争反対のデモが行われています。SNSやネット上でも拡散されているその光景は、これまでのデモのイメージを覆すものです。中心にいるのは若い女性たち。彼女たちは罵声を浴びせるのではなく、手に色とりどりのペンライトを掲げ、夜の永田町を優しく、しかし力強い光で埋め尽くしています。とてもスマートで、心ひとつに世界の平和を願うその姿には、これからの日本を救う一筋の希望が感じられます。私も、その輪の中に加わり、中心となって共に声を上げたいと強く願っています。
日本ができることは、もっとあるはずです。国際紛争を逃れてきた難民を「国家戦略」として積極的に受け入れるべきです。単なる一時的な保護ではなく、彼らに日本の文化を知ってもらい、日本の安全と人の優しさに触れていただく。そして紛争が終わった後、彼らが自国に戻った時、日本からの支援を思い出し、自国の復興に役立ててもらう。その橋渡しこそが、被爆から復興した日本が果たすべき国際貢献の形ではないでしょうか。
私は居住支援という立場から、国内のみならず海外とのパイプ役になり、国際紛争を少しでも減らすために尽力したいと考えています。全盲の問題解決コンサルタントとなった今、確かに物理的な風景は見えませんが、人の心の核心は、健常者であった時よりも詳細に、より深く理解できるようになりました。
​国が違っても、文化や宗教が違っても、人の心は真摯に話し合えば必ず一つになれます。人間にとっての本当の幸せとは、領土を拡大することでも、石油の利権を争うことでもありません。
​戦争へと突き進むような間違った流れに対し、はっきりと「間違っている」と言える社会であり続けること。アイズルームを通して、そして私のこれまでの経験を通して、これからも平和への道を問い続けていきたいと思います。