障害福祉をテーマとしたブログを毎日配信しているアイズルームです。
何と言っても障害者のことを一番考えて頂いている政党は、れいわ新選組です。彼らの原発反対、防衛予算増強への反対、そして消費税廃止。これらの政策は誠に正しく、リベラルな立場の方なら誰もが共感することでしょう。重度視覚障害者である私も、彼らの掲げる政策そのものに異を唱えるつもりはありません。
​しかし、選挙戦の様子を俯瞰してみると、どうしても与党批判が中心となっている印象を受けます。れいわ新選組、日本共産党、社会民主党の三党は政策面で類似しており、現政権とは対極の意見を提示しています。
​今回の選挙において、こうした野党の筆頭とも言える存在が議席を減らすようなことになれば、政治の多様性は失われてしまいます。反対意見が消え去れば、かつての旧統一教会の問題や、森友学園問題を巡る公文書改ざん事件のような事態を招き、与党の暴走を許すことになりかねません。
​森友学園の問題では、安倍晋三元首相の妻である昭恵氏が名誉校長を務める予定だった小学校の設置を巡り、国有地が不当に安く払い下げられました。この疑惑を隠蔽するために財務省で公文書の改ざんが強行され、現場で抵抗し誠実に職務を全うしようとした赤木俊夫さんが、自ら命を絶つという、あってはならない悲劇が起きました。こうした権力の私物化を監視するためにも、強い野党は必要です。
​ただ、一方でれいわ新選組の主張には、具体的な対案への懸念も残ります。原発に反対しながら、今後さらに膨れ上がる電力需要にどう対処していくのか。消費税を廃止して、少子高齢化が進む中での社会保障財源をどう確保するのか。防衛予算を削減して、緊張が高まる太平洋の安全保障リスクにどう向き合うのか。
​これら三つの課題に対し、おしゃべり会やパネルを用いた説明は行われていますが、私にはまだ具体性が欠け、理想論に寄っているように感じられてなりません。
​障害福祉の観点から見れば、れいわ新選組が支持を広げることは、私たちの地位向上や環境改善に直結すると確信しています。だからこそ、批判だけでなく、実際の国家予算を緻密に踏めた具体的な国家戦略を提示してほしいのです。
​最新のニュースによれば、健康問題を理由に参院議員を辞職した山本太郎代表が、二〇二六年二月五日に池袋駅前で街頭演説を行いました。山本氏は一月に、血液がんの一種である多発性骨髄腫の前段階、いわゆるMGUSから進行する一歩手前の状態であることを公表しました。医師からは「今生きなければ、命を失いかねない」と告げられたといいます。
​それにもかかわらず、山本代表は「遺言だと思って聞いてほしい。死なへんけど」と冗談を交えつつも、悲痛な決意で聴衆に語りかけました。現在、高市早苗首相率いる自民党が単独で三百議席に迫るという圧倒的な勢いを見せる一方、れいわ新選組は議席を大幅に減らし、五議席すら割り込んで国会内の発言権を失いかねない危機にあります。この危機感から、彼は自らの命を削って再び街頭に立ったのです。
​私は彼の演説を聴き、その情熱に強く心を打たれました。すべての政策に同意できるわけではありませんが、彼の思いは本物です。彼は訴えます。今の日本は、六人に一人が貧困。高齢者は五人に一人が貧困。そして、ひとり親世帯にいたっては二つに一つが貧困であるという残酷な現実を。
​本来、こうした生活弱者の方々は、政治家にとって献金や大きな組織票には結びつきにくい存在です。それでも彼は「生きてるだけで価値がある、そんな社会を皆でつくろう」と叫び続けています。その言葉を証明するように、彼は二〇一九年の参院選で、難病のALS患者である舩後靖彦氏と、重度脳性麻痺の木村英子氏という二人の重度障害者を、自らよりも優先して国会へと送り出しました。
​「誰もが明日、障害者になる可能性がある。高齢になれば誰もが身体の不自由さを経験する。人生の保証がされている人は一人もいない」
​山本代表が繰り返すこの言葉は、私たち障害当事者にとって、単なる政治スローガンではなく、魂の叫びとして響きます。たとえ具体性に欠ける部分があったとしても、この情熱と、弱者を切り捨てないという強い意志だけは、今の政治に絶対に必要な光です。
​山本代表が命を懸けて守ろうとしている「誰もが生きているだけで幸せになれる権利」。私たちはその叫びをどう受け止めるべきか、今一度真剣に考えなければなりません。