​あの日から、15年という月日が流れました。
私にとって、あの「忌まわしい震災」の記憶は、15年経った今でも、昨日のことのように鮮明に蘇ります。
​あの日、私は出張のため、前夜から名古屋に移動していました。取引先の事務所にいたその時です。
遠く離れた東北が震源であるにもかかわらず、名古屋のビルは不気味な地鳴りとともに、経験したことのない凄まじい横揺れに襲われました。
「ただ事ではない」
直感的な恐怖とともにテレビをつけた瞬間、目に飛び込んできたのは、まさに「この世の終わり」のような光景でした。
​黒い濁流となって、人々の営みを一瞬にして飲み込んでいく巨大な津波。
各地で燃え上がる、消すことのできない炎。
そして、本来そこにあるはずのない、巨大な船が陸上に乗り上げている光景。
言葉を失い、ただただ画面を凝視するしかありませんでした。網膜に焼き付いて離れない、地獄絵図でした。
​当時の私の仕事は、奇しくも震災と深く関わることとなりました。
名古屋へ出張していた理由は、大手ハウスメーカーの電気製品から発火するという重大事案に対応するためでした。7000件にも及ぶリコール対象機種を、その後5年間にわたり全数交換するという、気の遠くなるようなプロジェクトの渦中に私はいました。
​同時に、私が東京で運営していた会社では、被災地から逃れてきた方々の支援に奔走していました。
福島第一原発事故により、住む場所を追われた方々。千葉、埼玉、神奈川、東京へと移り住む人々の住宅確保に明け暮れました。
彼らは、放射能によって自宅を奪われた代償として、ある程度の補償を受けていました。しかし、残念なことに、その補償が「仇」となってしまった側面もあります。
​終わりの見えない避難生活、震災のトラウマ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)。
それらが重なり合い、仕事が手につかなくなってしまった方も多かったのです。
災害に対する補助金は、無限ではありません。私は、生活が行き詰まった方々の生活保護申請を、ボランティアで行いました。
また、住宅メンテナンスの仕事もしていたため、一般の人は立ち入ることのできない「帰還困難区域」にも、特別な許可を得て調査に入りました。誰もいない、時が止まった街の光景は、筆舌に尽くしがたいものがありました。
​このように、私は様々な側面から東日本大震災という未曾有の災害に関わってきました。
そして、あれから15年。昨日、私はある理事会で、衝撃的な事実を耳にしました。
​現在、私が関わっている「松戸市視覚障害者協会」の理事長(女性)の告白です。
​彼女の実家は、福島県と宮城県の県境にありました。
あの日、巨大な津波は彼女の実家を襲い、家ごとすべてを押し流しました。
そして、実家にいたご家族4人が、尊い命を落とされたのです。
さらに残酷なことに、15年経った今も、その亡骸(遺骨)は見つかっていません。
彼女が松戸市視覚障害者協会の理事長を引き受けることになったのは、震災の、本当に直前のことだったそうです。
その直後に、故郷と家族を襲った、想像を絶する悲劇。
普通であれば、実家がこのような悲惨な状態になった時、理事長の職を辞し、個人的な喪に服し、身辺整理に専念するのが当然の選択でしょう。誰も、彼女を責めることはできません。
​しかし、現理事長は、その道を選びませんでした。
彼女を支えたのは、「一回引き受けたものは、やり遂げる。途中で投げ出さない」という、鋼のような意志でした。
​「他に全くやる人がいなかった。だから、自分の意志で引き受けた」
​その強い責任感と、視覚障害者の方々のために尽くすという使命感が、身を引き裂かれるような悲しみを上回ったのです。彼女は、地獄のような苦しみの中で立ち上がり、その責任を全うする道を選びました。
そして、震災という未曾有の困難な時期を乗り越え、今日まで15年間、松戸市視覚障害者協会を牽引し続けてきたのです。
​この話を、彼女は15年間、公にはしませんでした。昨日の理事会で、初めて明かされた真実です。
彼女は女性ですが、男性よりも遥かに強いリーダーシップと統率力を持っています。その言葉の一つ一つには、計り知れない「重み」と「力」があります。
​時折、彼女の意見が間違っていると感じることもあるかもしれません。しかし、松戸市視覚障害者協会を15年にもわたり統率してきた実績と、その陰にある、想像を絶する壮絶な経験。
彼女の全身からは、筆舌に尽くしがたい悲しみを乗り越えた者にしか宿らない、紛れもない「凄み」のようなものが溢れています。
​「人は辛い経験を乗り越えれば乗り越えるほど強くなる」
​彼女の人生、彼女の背中を見て、私はその真理を深く学びました。彼女の強さは、失われた家族への愛と、残された者としての使命感から来ているのかもしれません。
​震災や津波は、過去の出来事ではありません。
関東、東海地方でも、巨大地震の発生が危惧されています。もし、再びあのようなことが起きてしまったら、今の日本は壊滅的な状況に陥るでしょう。
​15年前、日本にはまだ、復興に向かう「元気」がありました。
今の日本はどうでしょうか。社会全体に活気がなく、閉塞感が漂っています。
​震災や津波に対する災害対策は、一刻の猶予もない急務です。
政治は、戦争のための防衛費増強ばかりに目を向けている場合ではありません。
「日本を内側から強くする」
これこそが、今求められている防衛ではないでしょうか。
物品や食料の自給率を上げ、海外からの供給が止まっても国民が生き延びられるような、強靭な社会システムを作る。
​これからの日本の「ビジョン」を、一体どの政治家が描くことができるのでしょうか。
そして、そのようなリーダーを選ぶのは、私たち国民一人一人の「責任」なのです。
​15年という節目に、改めて犠牲になられた方々に哀悼の意を表するとともに、現理事長の壮絶な生き様に敬意を表し、私たち一人一人が「あの日」を忘れず、未来への備えを固めることを誓います。