【《介護の限界を超えた絶望が生んだ悲劇》102歳母親殺害事件に見る「明日の日本」の崩壊と、公的支援のあり方を問う最後の提言】

先日、東京・国立市で起きた102歳の母親殺害事件の初公判が行われ、71歳の娘である被告が起訴内容を認めました。この事件を単なる「殺人事件」として片付けることはできません。これは、日本の少子高齢化と財政難が織りなす構造的な矛盾の中で、一人の人間が介護の重圧に押し潰され、「絶望」という名の極限状態に至った悲劇であり、私たち日本国民全員が直面する「明日の自分」の姿を示すものです。
介護の限界と、助けを求める声の挫折
報道によれば、被告は腰痛を抱えながら、認知症を患う102歳の母親の介護を続けていました。事件直前、母親がベッドから転落し、自力で助け起こすことさえできなくなった状況は、71歳の高齢女性にのしかかった肉体的・精神的な限界を象徴しています。
被告は転落後、まず110番通報をしています。「母親をベッドに戻してほしい」という切羽詰まった要請は、すでに公的な介護サービスや支援体制では対処しきれない状況に陥っていたことを示しています。警察から119番(救急)を勧められた後も、すぐに通報できなかった背景には、何度も救急に頼ることへの遠慮や、緊急性の低い事案と判断された場合の対応への不安があったのかもしれません。
71歳の身体で102歳の親を在宅で介護し、しかも介護施設への入所が叶う前日に起きたこの事件は、「助けてほしい」と声を上げても、その限界に対応しきれない公的支援の「穴」が明確に露呈した結果だと言わざるを得ません。
貧困と介護崩壊:老後の二極化という現実
この事件の背景には、深刻な財政問題と高齢者福祉のあり方が横たわっています。
少子高齢化が進む日本において、介護士や看護師の担い手不足は深刻化し、国家予算の赤字国債連発により、公的な介護に回せる資金は細っています。これは、裕福な層と貧困層の間で、受けられる介護や医療の質に決定的な格差を生み出しています。
貯蓄のある家庭:私費サービスや有料老人ホームなどを利用し、一定の質の介護を享受できます。
貧困世帯:国民年金平均約7万円弱という収入水準では、介護保険の自己負担、高額な施設費用、そして突発的な入院費用を支払うことは不可能です。公費に頼る生活保護の水準以下で、他人に頼ることを諦めている高齢者は非常に多いのが現状です。
夜間に救急車を依頼した際、「入院になりますよ」と告げられ、費用の心配が現実となる経験は、「救急車や命の危機が、自己負担というフィルターを通る」という日本の冷徹な現実を突きつけます。十分な貯蓄がなければ、金銭的な理由で救急車をためらい、治療を断念せざるを得ない状況に置かれます。このままでは、公的支援からこぼれ落ちた貧困世帯の在宅介護は崩壊し、今回のような突発的な悲劇が「頻繁に起きる日常」へと変わるでしょう。私たちは、生活保護の水準以下で暮らしながら、公費に頼ることができず苦しんでいる多くの高齢者世帯を支援しています。
日本の進むべき方向性:介護・医療の「セーフティネット」再構築
日本が崩壊を防ぎ、全ての国民に尊厳ある老後を保障するために、政府及び厚生労働省は、今こそ根本的な改革に舵を切るべきです。
介護・医療における貧困層への公費支援の徹底
地域包括ケアシステムの「実質的な」強化
介護従事者の待遇抜本改善と人材確保
この事件は、高齢化社会の日本が抱える全ての病理を凝縮したものです。これを他人事とせず、「明日の自分」の危機として真剣に議論し、公費を投じるべき分野への優先順位を明確にしなければ、日本の老後は生きていても苦しいだけの世の中となり、社会は確実に崩壊へと向かうでしょう。
アイズルームは、この介護殺人事件を、社会の構造的欠陥が顕在化した最後の警告と捉えます。私たちは、年齢や障害の有無にかかわらず、全ての国民が尊厳を持って生き、必要な医療・介護を平等に享受できる社会の実現を揺るぎない使命とします。今後も、理想を共有する政党や政治家、専門家との連携を強化し、誰もが孤立しないインクルーシブな共生社会の実現に向け、政府および厚生労働省への具体的な政策提言を継続してまいります。日本の未来を切り開くこの活動に対し、引き続きのご支援とご協力を心よりお願い申し上げます。
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