​職人としての第一歩:松戸・中村製作所への入社
​私の社会人生活は、地元・松戸市にある「株式会社中村製作所」から始まりました。こちらは公園の遊具や景観施設などを手掛ける、業界を代表する企業です。
​ここで、私がかつてお世話になった中村製作所についてご紹介します。
​株式会社中村製作所(NAKAMURA MFG. CO., LTD.)
​設立:1958年(昭和33年)12月15日
​本社所在地:千葉県松戸市
​業務内容:公園遊具、ベンチ、休養施設(パーゴラ・四阿)、景観資材の企画・デザイン・設計・製造・販売。
​特徴:ウッドデッキやベンチなどの木製品から、子供たちの笑顔を作る遊具まで、都市の風景を作るプロフェッショナル集団です。
​私はこちらで、公園に設置されるような非常に重い製品の製造に携わっていました
​挫折からの再出発:独学で挑んだ「マニアックな言語」
​入社して1年が過ぎた頃、重量物の製造が原因で腰を痛めてしまいました。肉体労働を断念せざるを得なくなった私は、退職を決意します。そこで一念発起し、全くの未経験から独学でプログラムの世界へ飛び込みました。
​当時、私が没頭したのは以下のようなハードウェアに近い低層の言語でした。
​Z80:8ビットマイクロプロセッサの金字塔。
​8086:16ビット時代の幕開けを象徴するCPU。
​PL/M:インテル社が開発したシステム記述向けの高度なプログラミング言語。
当時は現代のようにネットで簡単に調べられる時代ではありません。これらの言語を独学で身につけた経験が、私のエンジニアとしての土台となりました。
​医療・物流システムの最前線へ
​技術を習得した私は、まず超音波診断装置のシステム開発に従事しました。その後、優秀なスタッフを迎え入れ、より高度な医療用ソフトウェア開発へと領域を広げていきました。
​CTスキャンやMRIのシステム開発。
​リニアック(放射線治療装置):がん細胞を死滅させるための精密な制御システム。
​日立メディコ様との繋がりから、日立物流様の「自動倉庫システム」の開発も請け負いました。
​23歳で「校長先生」に:流山でのスクール経営
​コンピューター時代の到来を確信した私は、流鉄流山線の平和台駅近くのビル2階を借りて「IMSパソコンワープロスクール」を開校しました。23歳頃のことです。
​当時はまだ役所の管轄が分かれていた時代でした。
​文部省(現:文部科学省):教育の立場から検定を実施。
​通産省(現:経済産業省):産業振興の立場から試験を実施。
​私のスクールはこの2つの省庁から「検定会場」としての認定を受け、大学生、ビジネスマン、主婦の方々など、多くの卒業生を送り出しました。二十代前半という若さで「校長」として教壇に立ち、多くの人の人生に関わったことは、今の私に繋がる大きな原体験です。
​新宿アイランドタワーでの社内ベンチャー
​スクール経営から10年が過ぎた頃、私は新宿アイランドタワーに拠点を置く企業に入社しました。そこで新たな一歩として、社内ベンチャーを立ち上げたのです。
​新規事業:PCサポート事業や人材派遣事業をゼロから構築。
​就職氷河期の支援:大学生向けにパソコンやTOEICの資格取得を推奨するセミナーを開催。
​大規模イベント:アイランドホールに300人の学生を集めての就職指導や、幕張メッセの「ワールドPCエキスポ」で1000人規模のパソコン教室を企画。
​現在は経営者向けのセミナー講師などを務めておりますが、この頃から「人の前に立って話すこと」が私の生涯の仕事となっていきました。
​最後に
​私は低学歴からのスタートでしたが、コンピューターとの出会いがすべてを変えてくれました。もし、あの時腰を痛めていなければ。もし、プログラムの世界に飛び込んでいなければ。今の私はなかったでしょう。
​時代はAI、それからAGIへと猛スピードで進化しています。私はこれからも最新のテクノロジーを追いかけながら、自らの経験を糧に、次世代へと知恵を繋いでいきたいと考えています。