【昭和の賑わいはどこへ?閑散とする令和の海と異常気象のリアル】

      

【昭和の賑わいはどこへ?閑散とする令和の海と異常気象のリアル】

懐かしい昭和時代の活気溢れる海水浴場をイメージした画像です。
​今年もまもなく夏が終わりを告げようとしています。
​私の拠点であります千葉県東葛地域では、近年多発するゲリラ豪雨や線状降水帯といった劇的な気候変動により、深刻な被害に見舞われました。かつて熊本の大震災や九州地方での相次ぐ台風、山間部の土砂崩れといったニュースを画面越しに見ながら、「九州は自然災害が多くて大変だ。比較的平坦な千葉の東葛地域なら安心だろう」と勝手に思い込んでいた時期がありました。しかし、地球温暖化がもたらす異常気象の前には、狭い日本列島において「絶対安全な場所」などどこにも存在しないのだと、身にしみて痛感させられています。
​気候の極端化は雨の降り方にも如実に表れています。東葛地域では夏の間、絶え間なく雨が降り続いていた一方で、西日本を中心とする地域では極端な雨不足(空梅雨や連続無降雨)に見舞われ、ダムの貯水率低下や渇水対策がニュースになりました。同じ日本国内でありながら、片や集中豪雨、片や深刻な水不足という偏った気象配置が起こっています。気候というものの複雑さと恐ろしさを改めて思い知らされるばかりです。
​こうした地球規模の変化を目の当たりにするにつれ、ふと胸に去来するのは昭和の熱気に満ちた夏の思い出です。
​昭和40年(1965年)生まれの私は、まさに昭和のバイタリティとピンク・レディーのフィーバーをリアルタイムで駆け抜けてきた世代です。18歳の頃、高校に通いながら24時間営業の立ち食いそば屋と鉄工所のアルバイトを掛け持ちし、資金を貯めました。目指すは、当時絶大な人気を誇った名門スポーツカー「トレノ(86)」。それも赤と黒の鮮やかなツートンカラーの新車です。
自転車を漕いで彼女と一緒にトヨタのディーラーへ向かった日のことは、今でも鮮明に覚えています。高校生が自転車で乗り込んできたのですから、最初はどの営業マンも相手にしてくれませんでした。しかし、たった一人だけ、私の話を真剣に聞こうと耳を傾けてくれた親切な営業マンがいたのです。私はその方から現金で新車を買い求めました。その繋がりは深く、二十歳で起業を決意していたこともあり、その後も2年おきに4台の新車を購入することになりました。
​真っ赤なツートンカラーのトレノにサーフボードを積み、サザンオールスターズの曲をBGMに走り抜けた青春時代。ラストサムライの映画のごとく熱い情熱を持って、毎週のように御宿や勝浦、江ノ島へと足を運んだものです。21歳で結婚し、年子で生まれた2人の子供を連れて夏には千葉・白浜のキャンプ場へ行きました。
​当時の昭和のトレンドといえば、誰もが肌を真っ黒に日焼けさせることでした。若い女性たちもこぞって小麦色の肌を競い合っていた時代です。
原宿では竹の子族とロックンロール族が歩行者天国で踊っていました。私はその頃週末の夜はDCブランドのスーツを着て六本木のディスコにいました。
日曜日の休日は、青い空と青い海の下で波の音に耳を澄ませ、ビーチパラソルを開いてサマーベッドに横たわり、トロピカルカクテルを傾ける。海の家で食べる少ししょっぱいラーメンと焼きハマグリの味わいは格別でした。
​しかし、2026年現在の夏の風景はどうでしょう。海岸線からは人影が消え、海の家すら営業しない場所が増加しています。
​なぜ、これほどまでに海岸から人が消えてしまったのでしょうか。
​その背景には、単なる流行の変化にとどまらない「環境構造の変化」が存在します。
​第1に、地球温暖化による危険なまでの危険猛暑です。昭和の夏は気温が30度を超えれば真夏日として大騒ぎでしたが、令和の夏は連日のように35度を超える酷暑日や40度に迫る危険な暑さが続きます。かつての「涼をとるための海」は、現在では「砂浜を歩くだけで熱中症ややけどのリスクを伴う危険地帯」へと変貌してしまいました。
​第2に、強烈な紫外線対策と日焼けに対する価値観の劇的な変化です。昭和期には健康的とされた日焼けですが、現在では皮膚がんのリスクや熱中症防止の観点から、紫外線を徹底的に避ける文化が定着しました。若者世代を中心に、屋外の海水浴よりも「屋内の冷房が効いた施設」や「日除け設備が整ったナイトプール」「ラッシュガードを着用して遊ぶ大型プール」へと需要が完全にシフトしています。 
​第3に、海水温の上昇による生態系の変化です。危険なクラゲの早期出現や熱帯性の毒性の強い海洋生物の北上により、安心して海に入れる期間自体が極端に短くなっています。
​このまま温暖化が進行すれば、かつて私たちが親しんだ「日本の夏の海水浴」という風物詩そのものが消滅してしまうのではないかという危機感すら覚えます。
​私自身に視線を向ければ、現在は全盲という障害を抱えて生活しています。左目は光を感じず、右目にわずかな光を感じる程度です。眩しい光は突き刺すような頭痛を引き起こすため、遮光レンズを着用していても夏の直射日光は非常に厳しいのが現状です。もし今の状態で海に入れば、自分が沖に向かっているのか岸に向かっているのかさえ判別できず、溺れてしまう危険があります。
​本当は昔のように、シティプールの脇で太陽の光を感じながら横になりたい。そんな些細な夢さえも、今の私にとっては叶えることが難しい大きな壁となっています。
​では、令和の夏、そしてこれからの未来の夏はどのように変化し、私たちはそれをどう楽しんでいくべきなのでしょうか。
​気候が変われば、夏の楽しみ方の「型」も変わらざるを得ません。日中の殺人的な太陽を避け、日が沈んだ後の涼しい時間帯を楽しむ「ナイトレジャー」や、屋内型のアミューズメント施設、テクノロジーを活用したバーチャルなリゾート体験など、新しい形の夏の過ごし方が次々と誕生しています。
​いくら地球環境や自らの身体の状況が変わろうとも、あの昭和の夏に感じた「ワクワクする高揚感」や「波の音を聞きながら過ごす至福の時間」という本質までを手放す必要はありません。
​時代の変化を受け入れつつ、今の自分に合った安全で心地よい方法で夏と向き合っていく。愛車のトレノで駆け抜けたあの日の熱い情熱を胸に抱きながら、新しい令和の夏の楽しみ方をこれからも模索していきたいと思っています。 
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