​京都府南丹市で起きた男児遺体遺棄事件。この痛ましい事件をめぐる報道のあり方について、2人のジャーナリストが真っ向から対立する見解を示しました。まずは、その発言の内容を振り返ってみましょう。
(以下、ニュース引用)
​「池上彰氏と元テレビ朝日社員の玉川徹氏が、くしくも4月20日放送のテレビ朝日系の番組で、京都府南丹市の男児遺体遺棄事件の報道のあり方について言及したのです。
​まずは『大下容子ワイド!スクランブル』に出演した池上氏だ。
番組では、遺体が遺棄されたとみられる公衆トイレ周辺を独自取材し、トイレ内部の詳細な図解や近隣住民の証言、元警視庁警部補による分析などを紹介していました。
そこで山崎弘喜アナから『池上さんはここまでの報道をどのように見てますか?』と聞かれた池上氏は、『こういうことだったのか、あるいは警察がこうやって捜査してきたのってことがよく分かる』と一定の評価。ただ続けて、『見ている側からするともういいんじゃないんですか、この話』と、やや辟易した様子で報道の打ち止めを求めたのです。
これに対して同日に真反対の意見を展開したのが、玉川氏だ。
同日の『羽鳥慎一モーニングショー』で、『事件報道自体に社会的意義があるというのが僕の結論なんですね』と前置きし、理由として『事件には社会の在り方が表れる』『今、我々が生きてる社会がどういう社会なのかを我々がメディアを通じて知るということは非常に必要なこと』と強調。さらに『メディアも含めて国民がこういうことをチェックすることが捜査が公正に行われることにつながる』と、報道継続の意義を訴えていたのです」
​(引用終わり)
この対立を見て、皆さんはどう感じましたか?私は、玉川氏の見解に全面的に賛成します。
​そもそも、ニュースや報道というものは、それを見るか見ないか視聴者が自ら判断するものです。報じる側が「もう十分だ」と勝手に情報の門を閉ざすのは、傲慢ではないでしょうか。
​池上氏の番組は、結局のところ、誰かが調べた結果を彼が分かりやすく噛み砕いて解説しているに過ぎません。そこには、ジャーナリストとしての真の情熱や、本気で日本を良くしようという意志が感じられないのです。厳しい言い方をすれば、池上氏は「道徳の時間」を視聴率という数字に変換して商売にしているだけのように見えます。
​かつて引退を口にしたこともありましたが、今となっては、議論の場を若い世代に譲るべき時が来ているのではないでしょうか。自身の感覚で報道の価値を決めつけ、幕を引こうとする姿勢は、多様な議論を阻害する「老害」と言わざるを得ません。
​一方で、玉川氏が指摘するように、凄惨な事件の背景にある社会の構造を知ることは、私たちが同じ過ちを繰り返さないために不可欠です。権力が公正に動いているかを監視し続けることこそ、報道が持つべき本来の使命です。
​「伝えすぎ」かどうかを判断するのは、テレビの中の解説者ではなく、私たち視聴者であるべきです。
《結論》
池上彰の「解説ごっこ」はもう終わりにしよう。日本の未来を創る熱い議論は、玉川氏のような真実を追う者と、次世代の若者たちに任せるべきだ!