【光を失い、60歳から「世界」を射抜く――全盲のコンサルタントが再び槍を手に取り、人生をリセットして挑むパラリンピックへの再起物語】

      

【光を失い、60歳から「世界」を射抜く――全盲のコンサルタントが再び槍を手に取り、人生をリセットして挑むパラリンピックへの再起物語】

稲毛区千葉県総合スポーツセンターで開催された陸上競技槍投げ、石原選手記録50mの投てき画像です。

​《プロローグ:暗闇の中で見つけた、かつての「槍」の感触》
​人生とは、時として残酷なほど鮮やかなリセットボタンを押してくるものです。私は今、光を失った世界に生きています。かつて目にした景色は、今はもう記憶の断片でしかありません。しかし、その暗闇の中で、私の体は静かに、そして力強く「何か」を求めて疼いていました。
​高校時代、私は陸上競技のやり投げに没頭していました。記録は50メートル。当時の私にとって、それは日常の風景の一部に過ぎませんでした。しかし、全盲となった今の私にとって、その「50メートル」という数字は、ただの過去の記録ではなく、失いかけた自分を繋ぎ止める「唯一無二の武器」へと姿を変えようとしています。
​やり投げという競技は、たった一振りの槍に、全身の筋力、柔軟性、そして魂のすべてを凝縮して乗せるスポーツです。助走からクロスステップ、そして投てきへと続くその一瞬の芸術は、多くの人にとって北口榛花選手の金メダルで馴染み深いものになったかもしれません。しかし、パラリンピックの世界にも、音と気配だけを頼りに槍を放つ、魂を震わせる戦いが存在します。
​《二つの挑戦:ソーシャルビジネスとパラリンピック》
​私は今、60歳を迎えました。自身の障害福祉団体「EYESROOM(アイズルーム)」を立ち上げ、全盲のコンサルタントとして新たなビジネスをクリエイトしています。これは私にとってのソーシャルビジネスであり、視覚障害者としての新しい生き方を提示する挑戦でもあります。
​しかし、私の内側にある情熱は、仕事だけでは収まりきりませんでした。
「もう一度、あの空を切り裂く槍の音を聴きたい」
プライベートの夢として掲げたのは、パラリンピックを目指すという、あまりに無謀で、あまりに美しい野心です。
​周囲は言うかもしれません。「60歳で、目も見えず、足にしびれもある。内臓の数値だって良くない。なぜそこまで自分を追い込むのか」と。
しかし、私の体は応えています。180センチ、85キロ。いまだにプロレスラー並みと言われるこの体格は、私が40年のビジネス戦線を戦い抜いてきた勲章であり、まだ見ぬ明日を切り拓くための最強のエンジンなのです。
《クラス分けの現実と、手に届く「金メダル」の予感》
​パラリンピックの陸上(視覚障害クラス)には、障害の程度によって3つのクラスがあります。
私はおそらく、最も障害の重い「F11」クラスに該当するでしょう。
皮肉なことに、この「真っ暗闇」のクラスにおいて、私の過去の記録は異次元の輝きを放ちます。
​一般のやり投げにおいて、立ち投げ(助走なし)で50メートルを投げるのは、並大抵の地肩ではありません。もし私がここからトレーニングを再開し、リズムを掴み、60メートルという未知の領域に踏み込むことができれば。それは単なる「出場」ではなく、世界記録や金メダルすら、決して夢物語ではないという現実が見えてくるのです。
​幸いなことに、私の住む千葉県松戸市には、そのための舞台が整っています。トレーニング施設も、私を支えてくれる強化クラブも、すぐそばにあります。まるですべての運命が、私に「投げろ」と言っているかのように。
​《エピローグ:人生の後半戦、30年をどう生き切るか》
​私の家系を考えれば、私はおそらく90歳まで生きるでしょう。残された時間はあと30年。これを「もう30年しかない」と見るか、「まだ30年もある」と見るか。
​ビジネスという戦場での新規クリエイト。そして、パラリンピックという聖地を目指す肉体の鍛錬。この二つを両立させる葛藤は、確かにあるでしょう。しかし、常に新しいビジネスを生み出し、困難を力に変えてきた私にとって、この葛藤こそが「生きている実感」そのものなのです。
ジュニアオリンピックを目指す少年のような無垢な情熱を持ちながら、60歳の知恵と肉体で現実を射抜く。
たとえ、その槍がパラリンピックの地に届かなかったとしても、明確な目的を持って努力する日々に後悔はありません。
​一歩踏み出す。その瞬間に、暗闇は希望へと変わる。
私は今、人生の第2幕を、かつてないほどの最高傑作にしようとしています。
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