【お茶の水女子大学での視覚障害者トイレイベント参加で感じた、真の共生社会と「個人の自由」への想い】

      

【お茶の水女子大学での視覚障害者トイレイベント参加で感じた、真の共生社会と「個人の自由」への想い】

女子大学の講義室で、視覚障害者の男性と女子大学生3人が、グループディスカッションをしているイメージ画像です。

​昨日、視覚障害者のトイレ使用に関する問題解決を目指すイベントに参加するため、茗荷谷にあるお茶の水女子大学まで足を運んできました。主催者の方々や、運営を支えてくださった関係者の皆様には、このような貴重な議論の場を設けていただいたことに、まずは心から感謝申し上げます。
​今回のイベントを通じて、私自身が当事者として、また一人の経営層の視点から率直に感じたこと、そしてこれからの社会に望むことについて、素直な気持ちをお話ししたいと思います。
​イベントの前半は基調講演から始まりました。講師である医師からは、ロービジョンや全盲といった視覚障害の基礎知識に関するお話がありました。ただ、私のようにすでに当事者として日々を過ごしている身からすると、内容の多くは周知の事実であり、少し退屈に感じてしまう時間があったのも事実です。医学的な分類や専門的な支援実績のアピールよりも、私たち当事者が日常生活で本当に直面している課題に、もっと焦点を当ててほしかったという思いがあります。しかし、サポートとして参加されていたお茶の水女子大学の晴眼者の学生さんたちにとっては、障害への理解を深める良い学びの機会になったのかもしれません。
​続いて行われたのが、実際に視覚障害者がトイレを使用して問題点を検証する実験と、その後のグループディスカッションでした。
​検証実験自体は、通常想像がつく範囲の問題提起に留まり、さらに踏み込んだ新しい改善点や深みのある議論にまで至らなかった点が少し残念でした。また、その後のディスカッションでは、進行役の方の個性が強く、ご自身が多く発言されてしまったことで、グループ内の学生さんや他の参加者の意見をバランスよく引き出す時間を十分に確保できていない印象を受けました。
​私はこれまでのキャリアの中で、様々な規模の会議で司会進行を務めてきた経験があります。司会者や進行役の本質的な役割とは、場全体の状況を瞬時に判断し、参加者全員の意見をバランスよく引き出し、最終的にそれらをまとめ上げることです。本当に重要な局面でのみ発言に留めるのが理想であり、進行役が話しすぎてしまっては、周りの参加者が何のために集まっているのか分からなくなってしまいます。
​議論が一部で偏ってしまったため、私は途中で発言を控え、目の前にいた学生さんたちと直接お話をすることにしました。彼女たちも議論の輪に入りづらそうにしていたため、声をかけたところ、非常に有意義で盛り上がる会話ができました。
​今回のイベントにおいて、私が最も救われ、深い感銘を受けたのは、このお茶の水女子大学の学生さんたちの姿勢です。彼女たちは本当に真面目で純粋、そして真剣に障害者を取り巻く課題と向き合おうとしていました。最終的には学生さんが素晴らしい意見の集約をして発表してくれました。彼女たちの真摯な姿勢には、心から敬意を表します。
​主催されたトイレ関係の皆様も、これからのトイレのあり方について熱心に考えられていることと思います。素晴らしい取り組みだからこそ、単にイベントを開催すること自体を目的にせず、当事者の本質的なニーズに切り込むような、より深い中身の企画と、円滑な運営体制を期待したいところです。
​また、今回のイベントを通じて改めて感じたのは、視覚障害者のコミュニティの狭さと、当事者間における意見の多様性、そして時に見られる「強い主張の押し付け」に対する違和感です。
​例えば、ディスカッションの中で「白杖を上に掲げて助けを求める行為」について、ある当事者から「視覚障害者の多くはその行為を望んでいないし、批判的だ」という強い否定的な意見が出ました。しかし、声を出すことが難しい状況にある方など、人それぞれの事情があるはずです。白杖をどのように扱おうとも、助けを求める表現の一つとして尊重されるべきではないでしょうか
​他人の行動に対して「こうあるべきだ」と一律に制限をかけようとする言動は、私たちが目指すべき「共生社会」の実現をかえって否定してしまう動きのようにも思えます。
​このような、古い固定観念やルールに縛られ、個人の自由を狭めてしまう傾向は、社会の他の場面にも共通しています。例えば、選択的夫婦別姓を巡る議論も同様です。結婚後も自分の名字を自由に選びたいと願う人が多くいる一方で、古い概念にとらわれた制度や法律が未だにまかり通っています。
​人間はもっと自由であるべきです。
​ロービジョンや全盲といったカテゴリーを周囲が勝手に決め、その枠の中にルールを押し付けようとする社会は、決して心地よいものではありません。お互いの違いを認め合い、誰もがルールに縛られずに自分らしく生きられる、真の共生社会の実現を私は切に願っています。 
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