​かつてソフトウェア開発の最前線で、私は若者たちと激論を交わし、寝食を忘れて事業を形にしてきました。しかし、全盲という大きな壁に直面し、事業の清算や倒産、M&Aを経験する中で、否応なしに「身の丈」という現実を突きつけられました。還暦を迎え、かつてのスピード感を失った今、私を最も震え上がらせるのは、肉体の衰えではありません。周囲の高齢者たちに見られる「精神の死」です。
​打ち合わせをしてもメモすら取らず、大切な約束も忘却の彼方に追いやってしまう。それでいて、過去の経験という化石のような価値観を振りかざし、他者の意見や時代の変化を拒絶する。そんな「思考停止した高齢者」たちの姿です。
​私は全盲になってから、ITの力を借り、スマホで録音し、AIで文字起こしをして議事録を作ります。それは、自分の欠落を自覚し、周囲に迷惑をかけまいとする最低限の「礼儀」であり、現役であり続けるための「執念」です。
​老いとは、何もしなければ「柔軟性を失い、身勝手になること」と同義です。経験が知恵にならず、ただの「頑固な壁」となり、未来ある若者たちの進む道を塞いでしまう。これほど残酷で醜いことはありません。
​私は、過去の思い出話に花を咲かせる老人会に浸るつもりはありません。そんな場所に未来はないからです。私が求めているのは、今もなお明日の日本を創ろうともがいている若い世代との共鳴です
​「老いることが怖い」という感情は、裏を返せば、まだ自分の中に「何かを成し遂げたい」という炎が消えていない証拠です。自分の価値観だけで世界を裁く「堅物」になり下がるのか、あるいは、自らの衰えをテクノロジーと謙虚さで補い、次世代のパートナーであり続けるのか。
​私は後者を選びます。老いという孤独な淵に立ちながらも、決して思考を止めず、変化を恐れない。それこそが、一度は事業を畳み、なおも歩みを止めない表現者としての、最後の矜持なのです。