​みなさん、こんにちは。今回は、私が最近聴いた素晴らしい一冊の書籍と、視覚障害者にとってなくてはならない読書システム、そして本の内容に深く共鳴した私自身の個人的な体験について詳しくお話ししたいと思います。
​写真の左側にある青い枠の機械をご覧いただけますでしょうか。これは「PLEXTALK(プレックストーク)」という視覚障害者用の音声読み上げ専用機器です。私は2年前に全盲となりましたが、この機械のおかげで、現在は2日に1本のペースで本を「聞いて」います。
​ここで、視覚障害者の読書を支える「デイジー(DAISY)図書」と、その聞き方や機械について詳しくご紹介します。デイジーとは「Digital Accessible Information System」の略で、視覚障害者や活字の読書が困難な人々のために作られた国際規格のデジタル録音図書のことです。通常のオーディオブックと異なり、目次から読みたい章やページへ一瞬で飛んだり、音声のスピードを自分に合わせて変更したり、しおりを挟んだりできる高度な機能を持っています。
​視覚障害者になると、千葉県視覚障害者福祉協会(千視協)に電話でお願いをすることで、このデイジー図書のCDを無料で借りることができます。自宅にいながら様々な本を手に入れ、 PlexTalkのような専用機器にCDを挿入するだけで、まるで本をめくるように快適に読書を楽しむことができるのです。活字を読むことができなくなっても、物語や知識とつながり続けられるこのシステムは、私たち視覚障害者にとってとても貴重な知識を得るサービスとなっており、本当になくてはならない大切な存在です。
​そんなデイジー図書で、私が特に好んで聴いているのが作家の東野圭吾さんの作品です。東野圭吾さんは、日本を代表するミステリー作家であり、直木賞をはじめ数々の名だたる文学賞を受賞されています。その作品の魅力は、単なる事件解決の面白さにとどまらず、描かれる話の内容が常に現代的であり、人間の心理や社会問題を掘り下げた奥深さがある点にあります。
​今回私が読んだ(聴いた)作品は、東野圭吾さんの「人魚の眠る家」です。
​私が代表を務める障害福祉「EYESROOM(アイズルーム)」の業務では医療関係との結びつきも深く、そうした視点からも、今回の作品はものすごく医療的な話であり、同時に深い倫理的なテーマを突きつけてくる内容でした。
​物語は、愛する幼い娘のプールでの溺水事故から始まります。病院に搬送された娘は、回復の見込みがない「脳死状態」であると医師から告げられます。突如として突きつけられる残酷な現実と、生命の判断。そこで描かれるのは、心臓移植を必要としている少年と、植物人間と言うべきか脳死状態に陥った少女、そしてその娘の命を狂気とも思われるほどの深い愛で守ろうとする母親の葛藤です。
​さらにこの本の中には、現代医療とロボティクスの関係、子どもの臓器移植といった非常に重く重要なテーマが凝縮されています。母親は、最新のITやコンピューター制御技術、身体を動かす電気刺激システムといったハイテク機器を駆使して、娘の呼吸を保ち、眠っているかのような娘の身体を動かし続けます。数年間もの間、脳死状態で生き続け、その間に身長も伸びていく少女の姿は、読者に「人間の生と死の定義とは何か」を激しく問いかけてきます。奇跡の感動作であり、一気に引き込まれる傑作です。
​実は、この本の中で描かれている「脳との連携による障害者の喪失した機能を回復させる」という取り組みは、私が3年前に断念した夢そのものでした。
​以前、私は「EYESROOM」とは別に「EYESET」という会社を立ち上げました。その事業内容は、頭の脳にチップを埋め込み、センサーなどを使って画像を脳に送ることで、視覚障害者に視覚を取り戻すという、まさに最先端のテクノロジーに挑むものでした。ソフトウェア技術者として優秀なインドの方を日本に迎えようと計画し、大きなビルの最上階のワンフロアを丸ごと借りて、あともう少しで事業が本格始動するというところまで来ていたのです。しかし、その直前で私が全盲になってしまい、惜しくもEYESETという会社は事業を精算することになりました。この本の中で描かれる最先端医療の描写は、かつて私が目指した世界と完全に同期しており、一言一句をとても注意深く、強い思い入れを持って聞き入りました。
​そして、脳死状態の我が子を守ろうとする母親の姿は、私の幼少期の記憶をも呼び起こしました。
​私は小学校に入学する時、潮干狩りに出かけました。しかしそこで運悪くばい菌を取り込んでしまい、その菌が脊髄に入り込み髄膜炎となり重症化してしまったのです。1週間後に私は意識を失い、40度を超える高熱が出続け、3日間にわたって意識不明の重体となりました。
​当時、まだ失踪しないで家にいた私の父親は、医者から「これだけ高い熱が続くと、意識を回復したとしても脳に障害が出て体に麻痺が残る」と告げられたそうです。無情にも、私の父親は「障害が残るくらいだったら死んだ方がマシだ」と医者に言い放ったといいます。
​しかし、私の母親はそんな言葉には一切関係なく、意識不明の私を救うため、3日間ずっと付きっきりで泊まり込み、必死に看病を続けてくれました。ずいぶん昔の話ですから、今のような洗練された冷却装置はありません。母親は、私の脳が凍ってしまうんじゃないかと思うほど大量の氷を、私の頭の周りに敷き詰めて必死に冷やし続けたそうです。
​その看病の甲斐あって、4日目の朝、私は奇跡的に意識を取り戻しました。そっと目を開けて上を見上げると、医者が私に「あなたはどのような動物を飼っていますか?」「どんな食べ物が好きですか?」という、一見すると変な質問を投げかけてきました。ぼーっとした意識の中で、私は当時飼っていた犬の名前や、自分の好きな食べ物を答えました。その反応をじっと見ていた医者は、母親に向かって「奇跡的に意識障害はないようです」と笑顔で答えてくれました。
​わずか3日間ではありますが、私自身にもあの「意識不明の時間」という経験が共有されています。だからこそ、ハイテク機器に守られながら数年間も脳死状態で生き続けた少女の物語が、他人事とは思えず胸に迫りました。
​この「人魚の眠る家」は、命の尊さ、家族の愛、そして科学技術の進歩がもたらす倫理の難しさを教えてくれる最高のドラマです。ぜひ皆さん、騙されたと思って読んでみてください。そしてこの機会に、子供の臓器移植について、生きることの定義について、一緒に考えてみてください。