​部活動の遠征中に発生した悲惨な衝突事故は、防ぐことができたはずの人災であり、強い憤りを禁じ得ません。
​報道によると、事故を起こした運転手は、以前から何回も物損事故を繰り返していました。警察からも免許を返納するように警告を受けており、本人自身も知人に対して「今回の仕事を終えたら免許を返納する」と話していたと言います。それにもかかわらず、最悪の事態を迎えてしまいました。
​昨日からこの運転手の鑑定留置が始まったとのことですが、もし仮に精神鑑定の結果として責任能力が問えないという判断が出たとしても、残された遺族の深い悲しみや心情を思えば、刑務所に入ってきっちりと罪を償い、責任を取るべきだと強く感じます。
​そもそもこの問題の根底には、運転手が認知症を発症していたとしか思えない背景があります。通常の判断力がある人ならば、物損事故を数回も起こした時点で自ら危険を察知し、免許を返納するはずだからです。
​私自身の経験を振り返ります。私は足に神経障害を抱え、さらに視覚障害が進行していました。免許センターでの更新手続きの際、数字的な基準ではまだ運転が可能であるという判断をされ、実際に更新自体は成功したのです。実は日本の法律では、片方の目が失明していても、もう一方の目に一定以上の視野と視力があれば免許の更新ができる仕組みになっています。
​しかし、私は「万が一にも事故を起こしてしまったら取り返しがつかない」と考え、50代半ばで自ら免許を返納する決断を下しました。客観的な周囲の目から見て、また社会の安全を請願する立場から考えて、片目失明での運転はあまりにも危険だと自己判断したからです。
​私は認知症ではありません。だからこそ、自分の障害を冷静に受け止め、自らの意思をコントロールして免許を返納することができました。しかし、今回の事故の運転手は、おそらく認知症のために「返納しなければならない」と思いながらも、その考えを実際の行動に移すことができなかったのではないでしょうか。
​もう一つの視点として、行政や警察の対応にも大きな課題が残ります。物損事故を繰り返していた時点で、警察がこの運転手に対して、もっと強制力を持って強く免許返納を迫っていれば、この悲劇は絶対に起きませんでした。
​さらに、事故後の対応においても、学校側とレンタカーを貸し出した運営会社側が、お互いに責任をなすりつけ合うような泥沼の構想へと繋がっています。遠征試合に出発する前、この運転手の異常な行動や予兆を誰かが感知し、しっかりと確認をしていれば、未来ある子供の尊い命が失われることはなかったはずです。
​団塊の世代が75歳を超えている現在、認知症患者が運転をして引き起こす事故は、今後さらに増大していくことが確実です。もはや本人の自主的な判断に頼る段階は過ぎています。軽度であっても認知症と診断された患者からは、国がシステムとして強制的に免許を取り上げる仕組みの構築が不可欠です。本人が正しい判断を下せない以上、強制的な介入を行わなければ、今後ますます同様の凄惨な事故が多発することになります。
​また、大型免許を所持しているケースであっても、10人を超えるマイクロバスを含めた、いわゆる「白ナンバー」の車両を運転する場合、認知症の発症リスクが高まる60歳を超えた時点での免許更新時に、より厳格な認知機能テストを義務付けるべきです。これは毎日多くの乗客を乗せて走るタクシーの運転手も同様であり、非常に高い危険性を孕んでいます。特に人を乗せてビジネスを行う人間にとって、認知症は本人の意思では食い止められない領域だからこそ、周囲の人間や社会の仕組みが絶対に止めなければならない事象なのです。
​技術的なアプローチも急務です。例えば、本人がお酒を飲んでいたり、有効な免許を所持していなかったりする場合は、そもそもエンジンがかからないような自動車の仕様を標準化する必要があります。なぜなら、認知症患者は免許を失ったとしても、その認識自体が抜け落ちてしまい、無免許のまま車を運転してしまう恐れがあるからです。この問題は、先端技術の力で対応するしか解決の道はありません。
​あと10年もすれば自動運転技術が当たり前の社会になり、私のような障害を持つ人間や高齢者であっても、一人で車に乗って移動することが可能になるかもしれません。しかし、完全に認知症になってしまっている場合は、たとえ自動運転であっても、万が一のトラブルや事故が起きた際に対処ができないため、やはり同乗者なしでの運転は難しいのが現実です。
​だからこそ、自動車産業は今、認識を1から改める必要があります。これからの時代、認知症を患った方が歩行者として道路に飛び出してくるケースも急増するでしょう。走行性能やデザイン、見栄えの良さを追求することよりも、最先端の自動ブレーキや検知センサーを搭載し、たとえ認知症の方が目の前に飛び出してきても絶対に轢かない、衝突を回避できる車の開発こそが最優先されるべきです。
​これからの超高齢化社会に向け、人間の命を救う車作りに、日本の誇る世界のトヨタが先頭に立って真剣に取り組むことを強く望みます。このまま対策を怠れば、自動車は移動の利便性を生む道具ではなく、社会を脅かす凶器となり、人を殺める社会の敵になってしまいます。
​今回の学生の尊い犠牲を、決して無駄にしてはなりません。この事故を最大の教訓とし、認知症患者が関わる悲劇的な事故をどうやって社会から根絶していくべきか、官民が一体となって真剣に議論を重ね、具体的な行動を起こす時が来ています。
​誰もが脅威に怯えることなく、安全に安心して暮らせる社会を作りたい。それが、障害福祉団体EYESROOMの代表としての私の強い願いであり、高齢化社会に対応した自動車の開発と安全対策の確立は、一刻の猶予も許されない喫緊の課題です。