​本日、私は足立区の同行援護サービス事業所「おとも」のヘルパーさんと共に、ある重要なイベントに参加いたします。
​イベントの概要は以下の通りです。
​一般社団法人 日本トイレ協会 ノーマライゼーション研究委員会が主催する「現地対話型講演会 見えること・見えにくいことを超えて ―トイレの使いやすさをすべての人へ―」が、お茶の水女子大学で開催されます。
このイベントでは、埼玉医科大学眼科准教授の蒔田潤先生によるロービジョンや視覚多様性の基礎、トイレ空間における課題についての基調講演が行われます。さらに、参加者が班に分かれて大学内の多機能トイレや男性トイレを実際に歩いて観察し、気づいたことや困りごとについて意見交換を行う、実践的な対話型講演会となっています。
主催者側から事前に見え方や移動支援に関する確認の連絡をいただいた際、私は自分の現状と、日頃から抱えている切実な課題についてお伝えしました。
​私は現在、左目は完全に失明しており、右目もかろうじて光を感じる程度で、医師からは全盲と言ってよい状態だと診断されています。
日頃は、非営利活動として松戸市視覚障害者協会の副会長業務や福祉支援団体EYESROOMの代表業務、また民間営利活動として株式会社ACEROOMの社長業や中小企業のコンサルティング、セミナー講師などを務めております。
​仕事の形態によって、同行援護によるガイドヘルパーさんのサポートを受けられる時と、白杖を使って単独歩行をする時がありますが、私にとって最大の障壁となっているのが「外出先での初めてのトイレ」です。
​自分がよく知っている顧問先のトイレ、障害者施設等通い慣れた場所であれば、配置や位置関係をすべて把握しているため、一人でも問題なく使用できます。しかし、一度も入ったことのない初めてのトイレに入ると、状況は一変します。
目が見えないため、水を流すボタンがどこにあるのかわからない、ウォシュレットの操作パネルが認識できないなど、数多くのトラブルに直面します。そのため、外のトイレを使用すること自体が、私にとって大きなトラウマになってしまっているのです。
​過去には、外出先でのトイレを我慢するあまり、水分補給を控えてしまい、結果として腎結石を患って3度も手術を経験するという苦い出来事もありました。命に関わる問題でありながら、それほどまでに「見えない状態での見知らぬトイレ」は恐怖を伴うものなのです。
​私は50代半ばで中途失明を経験し、まだ全盲になって2年ほどです。若くして視力を失い盲学校などで専門的な指導を受けた方々と違い、大人になってから視力を失った中途失明者の場合、日本国内でのロービジョンケアやリハビリテーションの支援体制が十分に浸透しているとは言えず、多くの人が社会生活の中で激しい戸惑いや孤立感を感じています。
​視覚障害者と一言で言っても、少し見え方に制限があるロービジョンの方から、完全に光を失った全盲の方まで、そのグラデーションや直面する困難は大きく異なります。
​特に今回のイベントは、全盲の方を含む視覚障害者が、実際にトイレを使用する際のデザインや設備の配置における課題解決を深く目指すものとなっています。
誰にとっても不可欠な排泄という行為において、社会のインフラである公共トイレがどのようにあるべきなのか。流すボタンの位置一つ、案内表記のあり方一つで、障害当事者の尊厳や安全が大きく左右されます。
​私も当事者として、そして視覚障害者協会の副会長として、日頃から感じている疑問や率直な全盲のトイレの使い方を現場で投げかけ、これからのトイレ環境全体を見直す課題解決のお手伝いをしたいと考えております。
​外出先でのトイレという、一見すると個人的な問題の背景には、中途失明者への支援不足や、本当の意味でのバリアフリー社会の未完成さという、大きな社会的課題が隠されています。
読者の皆様も、もし自分が、あるいは大切な人が突然見えなくなったとき、外のトイレを安心して使えるだろうかという視点で、この問題を一緒に考えていただけましたら幸いです。イベントでの学びや気づきについては、また改めてご報告いたします。