【カナダの医療支援死(MAID)から考える人間の尊厳と看取りのあり方――91歳の母を穏やかに送った体験と福祉支援の現場から望む日本の未来】
以前のブログでは、スイスにおける医療支援死(安楽死) の現状や制度についてお話ししました。今回は、 YouTube動画で語られていたカナダでの安楽死(MAID: Medical Assistance in Dying)の体験談を通じて、 人間が人生の最期をどのように迎えるべきか、 その尊厳と意思決定について深掘りしていきたいと思います。
今回取り上げる動画は、YouTubeチャンネルで配信された「安楽死した母を看取りました 日本にない制度なのでプロセスをお話しします」という映像です。 この動画は、約3年前に公開され、 現在までに20万回以上再生されています。
動画の中で語り手である娘さんは、 70代を超えて末期がんを患い、 劇的な痛みに苦しまれたお母様をカナダで看取った壮絶かつ穏やか なプロセスを、ありのままの言葉で記録されています。
カナダでは、2016年に医療支援死(MAID) が法制化されました。厳格な条件のもと、 回復の見込みがない難病や末期症状に苦しむ患者に対し、 本人の明確な意思に基づき、 医師や看護師が薬物を投与して死を迎える制度が整備されています 。
彼女のお母様は、病魔の激痛とたたかう闘病生活のなかで、 自らの意思でMAIDの申請を決断されました。 申請にあたっては、 複数の専門医による慎重な面談や精神的適性審査、 法律で定められた冷却期間など、 厳格なハードルをクリアしていく必要があります。
彼女は、母親の「これ以上苦しみたくない、 自分らしく人生を締めくくりたい」という心からの願いを尊重し、 制度の手続きを一つひとつ支え、 最期の瞬間まで傍らで見守り続けました。
彼女がこの番組を制作・配信した背景には、 単なる個人の記録にとどまらない強い想いがあります。 日本にはない「法制度として自らの死に方を選択できる仕組み」 が海外ではどのように運用されているのか、 その現実的なプロセスや本人の意思の尊さを、 日本の多くの人に知ってほしいという願いです。 隠されることの多い「人生の最期の選択肢」 を具体的に共有することで、生と死、 そして人間の尊厳について考えるきっかけを提供しようとされたの だと感じられます。
このカナダの事例に対して、 現在の日本には安楽死や医療支援死を認める法的枠組みが存在しま せん。しかし、制度の有無にかかわらず、 現場で問われている本質は「本人の意思をいかに尊重し、 無用な苦痛から解放するか」という一点に尽きます。
私自身、福祉支援団体EYESROOM(アイズルーム) の代表として、 これまでに数多くの高齢者や難病患者の方々の最期に立ち会ってま いりました。
記憶をたどれば、一人ひとりの最期において最も大切なのは、 本人がどのように捉え、どのように幸せな結末を迎えられるか、 いかに苦しまずに自分の尊厳を保てるかという問いです。 そのため私は常に、本人の意識が明確なうちに深く話し合い、 その人らしい意向を十分に確認しながら、 ご希望に添った看取りの形を模索し続けてきました。
そして今年、 私自身も家族として深く重い選択を経験いたしました。
私の母は、91歳でした。以前、 一度目の脳梗塞により下半身麻痺となり、 車椅子での生活を余儀なくされ、 老人ホームに入所しておりました。当時から私と姉たちは、 母のもとへ足を運び、「万が一の時にはどのような対処をするか」 「お墓や供養はどうするか」 といった終末期や将来についての対話を重ねてまいりました。
そうしたなか、母は二度目の脳梗塞に見舞われ、 寝たきりの状態となってしまったのです。
本人の意識が残されている間に、私と姉たち、 そして担当の医療関係者が集まり、 念入りな話し合いを行いました。何よりも優先されたのは、 母本人の強い意思でした。
母は自ら、「もう点滴さえも要らない。 これ以上苦しんで生きていても仕方がない」と、 はっきりとした意思を私たちに伝えてくれました。
私たちは母の言葉を一番に尊重し、 延命処置は一切行わないこと、 これ以上苦しむことなく最期を迎えるという選択をいたしました。 痛みを感じながら全身をチューブで繋がれ、 自由を奪われた状態で戦い続けることは、 母が望む生き方ではありませんでした。
幸いなことに、倒れてから約3週間、 母は安らかに永眠いたしました。
最期の数週間、私は何度も施設へ足を運び、 寝たきりとなった母の前で、これまでの感謝の気持ちを素直に、 何度も伝えることができました。日本の制度上、 安楽死という形ではありませんでしたが、 無用な延命をせず本人の意思に従って苦痛を和らげる「 自然な形での尊厳死」であり、 安楽死に極めて近い穏やかな旅立ちだったと感じております。
激しい痛みに耐えながらチューブに繋がれ、 苦しみとともに生きる現実を前にしたとき、 それでも生きたいと願う人はその選択を尊重されるべきです。 しかし同時に、「これ以上苦しみたくない」 と強く願う人に対して、 苦痛から解放される権利や選択肢があってもよいのではないでしょ うか。
数多くの難病患者や高齢者の最期に向き合ってきた経験から、 私は「 本人の意向に基づいた安楽死や医療支援死の選択肢が日本にも導入 されるべきだ」という確信を強めております。
人生の最期をどのように迎えるか。 それは他人が決めるものではなく、 本人自身の意思と尊厳によって選ばれるべきものです。 無理な苦しみを耐え抜くことだけが生きる意味なのか。 尊厳を持って自分らしく生き切り、 自分らしく幕を引くとはどういうことなのか。
このブログをご覧いただいた皆様にも、 ご自身や大切なご家族の「最期のあり方」について、 今一度深く考えていただくきっかけになれば幸いです。
今回取り上げる動画は、YouTubeチャンネルで配信された「安楽死した母を看取りました 日本にない制度なのでプロセスをお話しします」という映像です。
動画の中で語り手である娘さんは、
カナダでは、2016年に医療支援死(MAID)
彼女のお母様は、病魔の激痛とたたかう闘病生活のなかで、
彼女は、母親の「これ以上苦しみたくない、
彼女がこの番組を制作・配信した背景には、
このカナダの事例に対して、
私自身、福祉支援団体EYESROOM(アイズルーム)
記憶をたどれば、一人ひとりの最期において最も大切なのは、
そして今年、
私の母は、91歳でした。以前、
そうしたなか、母は二度目の脳梗塞に見舞われ、
本人の意識が残されている間に、私と姉たち、
母は自ら、「もう点滴さえも要らない。
私たちは母の言葉を一番に尊重し、
幸いなことに、倒れてから約3週間、
最期の数週間、私は何度も施設へ足を運び、
激しい痛みに耐えながらチューブに繋がれ、
数多くの難病患者や高齢者の最期に向き合ってきた経験から、
人生の最期をどのように迎えるか。
このブログをご覧いただいた皆様にも、