​昨日録画したテレビから流れてきた激論に、私の魂が激しく共動した。
​放送された『羽鳥慎一モーニングショー』での一幕だ。元テレビ朝日職員の玉川徹氏と、ゲストの常見陽平教授が、新入社員の退職やハラスメントを巡って火花を散らした。私はこの放送を見て、確信した。玉川氏の思考構造は、私と極めて近い。そして、対峙していた常見氏のような「学者」という存在こそ、今の日本を骨抜きにしている元凶ではないか。
​まずは、世間を騒がせているこの議論の内容を正確に整理しておこう。
モーニングショーでの激突:議論の全容
​番組では「ホワイトハラスメント」が取り上げられた。上司が過剰に配慮しすぎることで、若者が「成長の機会を奪われている」と感じて辞めてしまう現象だ。
​これに対し、玉川氏はこう直言した。
「苦しい思いは僕らだってしてきた。今の世代だけが苦しいというのは、むしろ甘やかしているのではないか」
この至極真っ当な意見に噛みついたのが常見氏だ。「苦しさの種類が違う」「ハラスメントが容認されていた社会がおかしい」と反論。議論は平行線のまま、最終的には常見氏が若手のアナウンサーに対し、番組の構成に関わる脈絡のない質問を執拗に浴びせ、羽鳥アナや玉川氏から「彼女に答えさせるのはリスキーだ」「かわいそう」と制止される事態にまで発展した。
​常見氏は放送後、自身のSNSで「スイッチが入った」「専門家として事実を説明した」と語っているようだが、私に言わせれば「ふざけるな」の一言に尽きる。スイッチが入ったのはこちらの方だ。
​学者の「机上の空論」が現場を壊す
​私は20歳で会社を設立し、40年以上にわたり経営の最前線に立ってきた。多くの若者と同じ夢を追いかけ、時には上場企業の役員として優秀な人材とも議論を重ねてきた。その経験から言わせてもらえば、大学という温室にこもり、修士号や博士号といった肩書きを盾に「今の若者はこうだ」と語る学者の言葉には、重みも真実味も一切ない。
​常見氏は「若者と接しているからわかる」という趣旨の発言をしているが、大学で学生の話を聞くことと、社会の荒波で切磋琢磨することは全く別物だ。もし彼が大学で教鞭を執っているのなら、入社してすぐに根をあげるような学生を育てるのではなく、これからの日本を背負って立つ「芯のある、たくましい人間」を育てるべきではないか。
​甘やかすことだけが教育ではない。自ら悩み、死ぬほど苦しみ、壁を乗り越えてこそ、人間の本質は見えてくるものだ。現場を知らず、他人の論文や聞きかじった話で「労働社会」を論じるのは、まさに私が最も忌み嫌う「机上の空論」である。
昭和の地獄と、成長するための「気概」
​今の時代、ハラスメントに厳しい目が向けられるのは当然だ。しかし、断言する。昭和の時代は、今の比ではない「ハラスメントの塊」だった。それに比べれば、現在はハラスメントなどほとんど存在しないに等しい。
​私は、ハラスメントに屈していては出世など到底望めないと考えている。理不尽な上司がいたとしても、「このポンコツをいつか実力で追い抜いてやる」「圧倒的な業績を出して認めさせてやる」という歯を食いしばるような気概がなければ、大きな成長はあり得ない。
​私自身、相手がどれほど巨大な企業の経営者であっても、間違っていることには一切妥協せず、食ってかかってきた。相手が取引先であっても、国会議員であっても、自分の信念を曲げたことは一度もない。
​会社に執着するな、嫌なら起業せよ
​今の若者に伝えたいのは、会社に執着する時代ではないということだ。本当にその組織が嫌なら、辞めればいい。自分に合う場所を探せばいい。そして、どうしても文句があるのなら、自分で起業すればいいのだ。
​今回の議論で、玉川氏が若手アナウンサーを庇い、常見氏の無茶な振りを制止した場面。あれこそが本当の「現場の配慮」であり、常見氏の言動は専門家を自称しながらも、目の前の人間に対する想像力が欠如した、まさに学者の悪い癖が出ていたと言わざるを得ない。
​私は、今回の件について玉川徹氏の意見を100パーセント支持する。
​日本を強くするのは、教科書通りの回答を並べる学者ではない。現場で泥をすすり、苦しみを乗り越えて立ち上がる人間だ。私はこれからも、EYESROOMの代表として、そして一人の経営者として、机上の空論を叩き潰し、真に「芯のある社会」を目指して走り続ける。