​休日、私はテレビの前で静かに耳を澄ませています。画面に流れているのは、Netflixで話題の韓国連続ドラマ「恋は飴模様」です。
​全盲の私が映画やドラマを楽しむときには「音声ガイド」が欠かせません。音声ガイドとは、登場人物の表情や仕草、場面の情景変化、画面内の文字情報などを、セリフの合間に音声ナレーションで補ってくれるバリアフリー機能のことです。目で見ることができなくても、このガイドがあるおかげで、登場人物が今どんな表情を浮かべ、周囲がどんな情景なのかが鮮明に頭の中に広がっていきます。
​今回の作品で主人公の女性検事コ・ウンセ役を演じているのは、女優のハヨンさんです。
ハヨンさんは1993年生まれの32歳。名門の梨花女子大学で西洋画を専攻し、ニューヨークの美術学校へ留学した経験もあるという、知的で洗練された才能を持つ女優さんです。ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」や「トラウマコード」などの話題作で頭角を現し、本作では知的でありながらも記憶を失い葛藤するヒロインを、豊かで繊細な表現力で見事に演じきっています。
​この「恋は飴模様」というドラマは、サスペンスと温かなロマンスが交錯する非常に深い作品です。
物語は、巨大な犯罪組織を追っていた優秀な女性検事コ・ウンセが、事故に巻き込まれて過去の記憶をすべて失ってしまうところから始まります。名前も自分の素性も忘れてしまった彼女の前に現れたのが、元ボクサーで現在は田舎のボクシングコーチをしている男性チャン・テハ(演:チョン・ヘイン)でした。彼は彼女を守るため、「自分が君の彼氏だ」という命がけの嘘をつき、ふたりの奇妙な同居生活が始まります。失われた記憶を巡るスリリングな追跡劇と、偽りの関係から少しずつ紡がれていく本物の絆が描かれ、切なくも心温まる展開に胸を打たれます。
​私は普段から映画を観ることや本を読むことが大好きです。
映画やドラマは音声ガイドを活用し、読書をする際には「フレックストーク」という視覚障害者向けの専用録音再生機を使用しています。フレックストークは、DAISY(デイジー)図書と呼ばれるデジタル録音図書や音声ファイルを再生するための機器で、再生速度を自在に変えたり、章やページごとに素早く跳び越えて読み進めたりすることができる、私たち視覚障害者にとっての大切な読書パートナーです。テクノロジーの進化とサポート機器のおかげで、豊かな物語の世界をいつでも堪能することができます。
​今回、音声ガイドを通じて耳に飛び込んでくるハヨンさんの凛とした声や立ち振る舞いの描写を聞いているうちに、私は胸が締め付けられるような懐かしい思い出に引き戻されてしまいました。彼女の佇まいが、かつて私が巡り会った一人の韓国人女性にあまりにも重なったからです。
​その出会いは、どこか隠れ家のようなバーでした。暗い裏路地にひっそりと佇む建物の、鉄骨がむき出しになった危険な螺旋階段を、3階まで足元に気をつけながら上がっていった先にあった店です。知り合いに紹介され、ふらりと立ち寄ったのが最初の始まりでした。会社のスタッフと歓迎会の後に足を運ぶような場所でしたが、そこでカウンターに立っていたのが彼女でした。
​彼女は韓国から一人で日本へ渡ってきており、早稲田大学の受験を目指していました。日本の厳しい受験に挑戦しようとするほど非常に聡明で、店でふと口ずさむ日本語の歌は、日本人以上に情緒豊かで上手だったことを覚えています。
​しかし、その澄んだ瞳の奥には、あまりにも重く複雑な人生が影を落としていました。
韓国で育った彼女の背景には、決して平坦ではない家庭環境がありました。病に倒れた父親の存在、連れ子の弟、そして家族全体の生活を支えなければならないという大きな重圧。若くして家族の命運を背負い、言葉も文化も異なる日本で一人、苦悩と戦いながら必死に生きようとしていたのです。
​日本に身寄りのなかった彼女の過酷な境遇を知り、私は彼女の人生のひとときを陰ながら応援することを決めました。居住の場を整え、生活の土台を支える支援を行ったのです。それは私自身が携わっている、居住支援や福祉支援団体アイズルームの活動の原点とも言える想いでした。行くあてをなくし、社会の隙間で途方に暮れる人に温かい住まいと支援を届けること彼女が安心して明日を見つめられるようにと切に願った日々でした
​その後、彼女は幾多の苦難を乗り越え、現在は日本で穏やかで幸せな生活を送っていると聞いています。暗く危険な階段を上った先にあったあの小さなバーでの出会いから、彼女が掴み取った幸せまでの軌跡。
​ドラマの中でハヨンさん演じるヒロインが、記憶を失うほどの過酷な運命に翻弄されながらも、真実の愛と自分の居場所を見つけていく姿は、かつて懸命に生き、最後には自分の幸せを見つけた彼女の面影と鮮やかに重なり合いました。
​音声ガイドから聞こえる物語を追いかけながら、私は静かに目頭を熱くしていました。人が困難の中で誰かと繋がり、支え合いながら幸せを掴んでいく力強さ。この素晴らしいドラマと、かつて出会った彼女の笑顔に、心からの拍手を送りたくなる休日となりました。